業忠、「あな浅まし、木曽がまた参り候ふ」と申しければ、院中の公卿殿上人、片方の女房たちにいたるまで、今度ぞ世の失せ果てとて、手を握り、立てぬ願もましまさず。業忠重ねて奏聞しけるは、「今日初めて都へ入る東国の武士と思え候ふ。いかさまにも皆笠標が代はつて候ふ」と申しも果てぬに、大将軍九郎御曹司義経、門前にて馬より下り、門を叩かせ、大音声を上げて、「鎌倉の前の兵衛の佐頼朝が弟、九郎義経こそ、宇治の手を攻め破つて、この御所守護のために馳せ参つて候へ。開けて入れさせ給へ」と申されたりければ、業忠あまりのうれしさに、急ぎ築垣の上より躍り降るるとて、腰を着き損じたりけれども、痛さはうれしさに紛れて思えず、這ふ這ふ御所へ参つて、この由奏聞したりければ、法皇大きに御感あつて、門を開けさせてぞ入れられける。
業忠(平業忠)は、「なんということか、木曽(義仲)がまた戻って来ました」と申すと、院中の公卿殿上人([三位以上の者。四・五位で殿上を許された者])、傍に仕える女房たちにいたるまで、今度こそ世の終わりだと言って、手を握り合い、神仏に祈願するばかりでした。業忠が重ねて奏聞するには、「今日初めて都に入る東国の武士と思われます。あの者たちの笠標([戦場で敵味方を見分けるために、兜などにつけた印])が木曽軍とは異なっております」と言い終わらないうちに、大将軍九郎御曹司義経(源義経)が、門前で馬から下り、門を叩き、大声を上げて、「鎌倉の前兵衛佐頼朝(源頼朝)の弟、九郎義経が、宇治の軍を攻め破って、御所を守護するために急ぎ参りました。門を開けてくださいますよう」と申すと、業忠はあまりのうれしさに、急いで築垣([土塀])上より飛び降りたので、腰を着き損じましたが、痛さはうれしさのあまり感じず、這うようにして御所に参り、これを奏聞すると、法皇(後白河院)はたいそうよろこんで、門を開けて義経たちを院中に入れました。
(続く)