平家の侍ども、熊谷平山に余りに手痛う攻められて、敵はじとや思ひけん、城の内へざつと引いて、敵を外様になしてぞ防ぎける。熊谷は馬の太腹射させ、跳ぬれば、弓杖突いて下り立つたり。子息の小次郎直家も、生年十六歳と名乗つて、真つ先駆けて戦ひけるが、弓手の腕を射させ、これも馬より下り、父と並んでぞ立つたりける。熊谷、「いかに小次郎は手負うたるか」。「さん候ふ」。「鎧付きを常にせよ。裏掻かすな。錏を傾けよ、内兜射さすな」とこそ教へけれ。
平家の侍たちは、熊谷(直実)平山(季重)にひどく攻められて、敵わないと思い、城の中へざっと引いて、敵を木戸の外に出して防ぎました。熊谷(直実)は馬の太腹([腹])を射られて、馬が跳ねたので、弓を杖に突いて馬から下り立ちました。子の小次郎直家(熊谷直家)も、生年十六歳と名乗って、真っ先駆けて戦いましたが、弓手([左手])の腕を射られて、同じく馬から下り、父(直実)と並んで立っていました。熊谷(直実)が、「どうした小次郎(直家))傷を負ったか」と訊ねました。直家は「矢を射られました」と答えました。直実は「鎧付き([札と札との間に隙間ができないように、着用している鎧を揺すり上げること])を常にせよ。矢に射ぬかれるな。錏([兜の鉢の左右・後方につけて垂らし、首から襟を防御するもの])で防御せよ、内兜([兜の額に当たる部分])を射られるな」と教えました。
(続く)