ややあつて、緋威の鎧着て、月毛なる馬に、金覆輪の鞍置いて乗つたりける武者一騎、鞭鐙を合はせて馳せ来たる。越中の前司怪しげに見ければ、「あれは猪俣に親しう候ふ人見の四郎で候ふが、則綱があるを見て、詣で来ると思え候ふ。苦しうも候はぬ」と言ひながら、あれが近づくならば、尺慢ずるものを、落ち合はぬことはよもあらじと思ひて待つところに、間ひ一反ばかりに馳せ来たる。越中の前司、はじめは二人の敵を一目づつ見けるが、次第に近づく敵をはたと守つて、則綱を見ぬ隙に、猪俣力足を踏んで立ち上がり、拳を強く握り、越中の前司が鎧の胸板を、ばくと突いて、後ろへのけに突き倒す。 起き上がらんとするところを、猪俣上に乗りかかり、越中の前司が腰の刀を抜き、鎧の草摺引き上げて、柄も拳も通れ通れと、三刀裂いて首を捕る。さるほどに人見の四郎も出で来たり。かやうの時は論ずることもありとて、やがて首をば太刀の先に貫き、高く差し上げ、大音声を上げて、「この日来平家の御方に鬼神と聞こえつる越中の前司盛俊をば、武蔵の国の住人、猪俣の小平六則綱が討つたるぞや」と名乗つて、その日の功名の一の筆にぞ付きにける。
しばらくして、緋威([緋色に染めた革や組紐などで威した鎧])の鎧を着て、月毛([葦毛=毛に白い毛が混じっているもの。でやや赤みを帯びて見える馬])の馬に、金覆輪([金または金色の金属を用いて飾った鞍])をの鞍を置いて乗った武者が一騎、鞭鐙を合わせて急ぎやって来ました。越中前司(平盛俊)が怪しげに見ていると、猪俣則綱は「あれは猪俣と親しくしている人見四郎(人見恩阿)です、わたし則綱がいるのを見て、やって来るのだと思います。何も問題ありません」と言いながら、人見が近づいて来れば、近くの注意はおろそかになるであろうし、落ち合わないことはまさかあるまいと思って待っていると、その間一反([約10m])ばかりに急ぎやって来ました。越中前司は、はじめ二人の敵を交互に見ていましたが、次第に近づく敵に気を取られて、則綱を見ない間に、猪俣(則綱)は力足([強く力をこめて足を踏みおろすこと])を踏んで立ち上がり、拳を強く握り、越中前司(平盛俊)の鎧の胸板([鎧の胴の最上部の、胸にあたる部分])を、強く突いて、後ろ向きに突き倒しました。盛俊が起き上がろうとするところを、猪俣(則綱)が上に乗りかかり、越中前司(盛俊)の腰の刀を抜いて、鎧の草摺([鎧の胴の付属具。大腿部を守るためのもの])を引き上げて、柄も拳も通れ通れと、三刀裂いて首を捕りました。やがて人見四郎(恩阿)もやって来ました。このような時には名乗りを上げるべきと、則綱はすぐに盛俊の首を太刀の先に貫き、高く差し上げ、大音声を上げて、「かねがね平家の味方で鬼神と聞く越中前司を、武蔵国の住人、猪俣小平六則綱が討ち捕ったぞ」と名乗って、その日の功名の一の筆([筆頭])に書き付けられました。
(続く)