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「平家物語」敦盛最期(その3)

「あはれ弓矢取る身ほど口惜くちをしかりけることはなし。武芸のいへに生まれずは、何しにただ今かかる憂き目をば見るべき。情けなうもうち奉るものかな」と、袖をかほに押し当てて、さめざめとぞ泣きたる。首を包まんとて、よろひ直垂ひたたれを解いて見ければ、錦の袋に入れられたりける笛をぞ腰に差されたる。「あないとほし、このあかつきじやうの内にて、管弦くわんげんし給ひつるは、この人々にておはしけり。当時たうじ味方に東国のせい、何万かあるらめども、いくさぢんに笛持つ人はよもあらじ。上臈じやうらふはなほも優しかりけるものを」とて、これを取つて大将軍たいしやうぐんの御見参げんざんに入れたりければ、見る人涙を流しけり。後に聞けば、修理しゆり大夫だいぶ経盛つねもり乙子おとご大夫たいふ敦盛あつもりとて、生年しやうねん十七じふしちにぞなられける。それよりしてこそ、熊谷が発心ほつしんの心は出で来にけれ。くだんの笛は、祖父おほぢ忠盛ただもり、笛の上手じやうずにて、鳥羽の院より下し賜はられたりしを、経盛相伝さうでんせられたりしを、敦盛笛の器量きりやうたるによつて、持たれたりけるとかや。名をば小枝さえだとぞまうしける。狂言きやうげん綺語きぎよことわりと言ひながら、つひさん仏乗ぶつじよういんとなるこそあはれなれ。




熊谷直実は、「かわいそうなことをしたが弓矢を持つ身ほど思い通りにならないものはない。もし武士の家に生まれていなかったならば、どうしてこのような悲しい目を見ることがあるだろうか。嘆きながら仕えなくてはならないとは」と言って、袖を顔に押し当てて、しきりに泣いていました。首を包もうとして、鎧直垂([鎧の下に着る着物])を解いて見ると、錦の袋に入れた笛を腰に差していました。「とても残念なことをした、夜明け前に城(一の谷城、要塞)の中から、管弦([雅楽の演奏])をしていたのは、この者たちだったのか。今味方に東国の勢が、何万騎かいるが、戦の陣に笛を持つ者はきっといないだろう。上臈([身分の高い者])は戦でも優美なものだな」と言って、笛を取って大将軍の見参([確認のために目上に見せるもの])に入れたので、これを見た人は涙を流しました。後に聞けば、熊谷直実が討ち取ったのは修理大夫経盛(平経盛。清盛の異母弟)の乙子([末子])、大夫敦盛(平敦盛。経盛の末っ子)で、十七歳でした。これがきっかけで、熊谷直実は仏門に入ろうと決心したのです(熊谷直実は浄土宗の開祖、法然の弟子になったらしい)。この笛は、敦盛の祖父である忠盛(平忠盛。清盛の父)が、笛の名人だったので、鳥羽院(1103~1156)(後白河院の父)から賜ったもので、経盛が受け継いだものを、敦盛が笛が上手だったので、持たせていたそうです。笛の名を小枝と言いました。管弦などを狂言綺語([道理に合わない言葉と巧みに飾った言葉])と言ったりしますが、この笛が讚仏乗([仏の教えをほめたたえること])の因([物事が生じる直接の力])となったのは悲しいことでした。


続く


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by santalab | 2013-11-18 20:13 | 平家物語 | Comments(0)

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