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「平家物語」小宰相身投(その6)

遅れまゐらせなん後、さらに片時永らふべしとも思えぬものかな」とまうして、御そばにありながら、ちとうちまどろみたりけるひまに、北の方やはら船端ふなばたへ起き出で給ひて、満々たる海上かいしやうなれば、いづちを西とは知らねども、月の入るさの山のを、そなたの空とや思しけん、しづかに念仏し給へば、沖の白州しらすに鳴く千鳥、あまの戸渡るかぢの音、りからあはれや増さりけん、忍びごゑに念仏百返ひやくぺんばかり唱へさせ給ひつつ、「南無西方さいはう極楽世界の教主けうじゆ、弥陀如来、本願ほんぐわんあやまたず、飽かで別れし妹背いもせの仲らひ、必ず一つはちすに」と、泣く泣くはるかに掻き口説き、南無と唱ふる声ともに、海にぞしづみ給ひける。一の谷より屋島へ押し渡らんとての、夜半ばかりのことなりければ、船の内静まつて、人これを知らざりけり。その中に梶取かんどりの一人いちにん寝ざりけるが、この由を見奉て、「あれはいかに。あの御船より、女房にようばうの海へ入らせ給ひぬるは」と呼ばはつたりければ、乳母の女房うち驚き、そばを探れどもおはせざりければ、ただ「あれよあれよ」とぞあきれける。人数多あまた下りて、取り上げ奉らんとしけれども、さらぬだに、春の夜は、習ひに霞むものなれば、四方よもの村雲浮かれきて、かづけども潜けども、月おぼろにて見え給はず。




あなたに遅れた後に、さらにわずかでも長く生きようとは思えません」と言って、北の方の近くて、少しばかりうとうとしている間に、北の方はそっと船端に出て、満々とした海の上なので、どちらが西なのかわかりませんでしたが、月が入る山の向こうを、西の空と思って、静かに念仏すれば、沖の白州に鳴く千鳥、海峡を渡る楫の音が、憐れさを増すようでした、北の方は忍び声で念仏を百回ほど唱えて、「西方極楽世界の教主、弥陀如来([釈迦])さま、本願([仏、菩薩が衆生を救済するために起こした誓願])間違えなく、嫌いで別れたわけでない妹背([夫婦])の仲です、必ず同じ蓮([蓮の上]=[極楽浄土])に導きくださいませ」と、泣きながらはるか西方に向かって訴えてから、南無と唱える声とともに、海に沈んでいきました。一の谷から屋島に渡ろうとしていた、夜中のことでしたので、船の中は静まりかえって、ほかの者たちは知りませんでした。その中で梶取りが一人寝ていたかった者が、これを見て、「あれは何だ。あの船より女房が海に落ちたぞ」と叫んだので、乳母の女房は驚いて、近くを探しましたが北の方の姿はなく、ただ「どうしましょう」と驚くばかりでした。人がたくさん船から下りて、北の方を取り上げようとしましたが、ただでさえ、春の夜は、常に霞がかり、四方に村雲([一群れの雲])が天にかかって、潜っても潜っても、月明かりはぼんやりして見えませんでした。


続く


by santalab | 2013-11-18 20:59 | 平家物語

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