遅れ参らせなん後、さらに片時永らふべしとも思えぬものかな」と申して、御そばにありながら、ちとうちまどろみたりける隙に、北の方やはら船端へ起き出で給ひて、満々たる海上なれば、いづちを西とは知らねども、月の入るさの山の端を、そなたの空とや思しけん、静かに念仏し給へば、沖の白州に鳴く千鳥、天の戸渡る楫の音、折りからあはれや増さりけん、忍び声に念仏百返ばかり唱へさせ給ひつつ、「南無西方極楽世界の教主、弥陀如来、本願過たず、飽かで別れし妹背の仲らひ、必ず一つ蓮に」と、泣く泣くはるかに掻き口説き、南無と唱ふる声ともに、海にぞ沈み給ひける。一の谷より屋島へ押し渡らんとての、夜半ばかりのことなりければ、船の内静まつて、人これを知らざりけり。その中に梶取りの一人寝ざりけるが、この由を見奉て、「あれはいかに。あの御船より、女房の海へ入らせ給ひぬるは」と呼ばはつたりければ、乳母の女房うち驚き、そばを探れどもおはせざりければ、ただ「あれよあれよ」とぞあきれける。人数多下りて、取り上げ奉らんとしけれども、さらぬだに、春の夜は、習ひに霞むものなれば、四方の村雲浮かれきて、潜けども潜けども、月朧にて見え給はず。
あなたに遅れた後に、さらにわずかでも長く生きようとは思えません」と言って、北の方の近くて、少しばかりうとうとしている間に、北の方はそっと船端に出て、満々とした海の上なので、どちらが西なのかわかりませんでしたが、月が入る山の向こうを、西の空と思って、静かに念仏すれば、沖の白州に鳴く千鳥、海峡を渡る楫の音が、憐れさを増すようでした、北の方は忍び声で念仏を百回ほど唱えて、「西方極楽世界の教主、弥陀如来([釈迦])さま、本願([仏、菩薩が衆生を救済するために起こした誓願])間違えなく、嫌いで別れたわけでない妹背([夫婦])の仲です、必ず同じ蓮([蓮の上]=[極楽浄土])に導きくださいませ」と、泣きながらはるか西方に向かって訴えてから、南無と唱える声とともに、海に沈んでいきました。一の谷から屋島に渡ろうとしていた、夜中のことでしたので、船の中は静まりかえって、ほかの者たちは知りませんでした。その中で梶取りが一人寝ていたかった者が、これを見て、「あれは何だ。あの船より女房が海に落ちたぞ」と叫んだので、乳母の女房は驚いて、近くを探しましたが北の方の姿はなく、ただ「どうしましょう」と驚くばかりでした。人がたくさん船から下りて、北の方を取り上げようとしましたが、ただでさえ、春の夜は、常に霞がかり、四方に村雲([一群れの雲])が天にかかって、潜っても潜っても、月明かりはぼんやりして見えませんでした。
(続く)