母上は若君を抱へ奉て、「ただ我を失へや」とて、喚き叫び給ひけり。乳母の女房も、御前に倒れ伏し、声も惜しまず喚き叫ぶ。日頃は物をだに高く言はず、忍びつつ隠れ居たりしかども、今は家の内にありとある者の、声を調へて泣き悲しむ。北条も岩木ならねば、さすが哀れげに思えて、涙を抑へ、つくづくとぞ待たれける。ややあつて、また人を入れて申されけるは、「世もいまだ静まり候はねば、しどけなき御事もぞ候はんずらん。時政が御迎ひに参つて候ふ。別の子細は候ふまじ。疾う疾う出だし参らさせ給へ」と申されければ、若君、母上に申させ給ひけるは、「遂に逃るまじう候ふ上、早々出ださせおはしませ。武士どものうち入つて探すほどならば、中々うたてげなる御有様どもを、見えさせ給ひ候はんずらん。たとひ罷りて候ふとも、しばしもあらば、北条とかやに暇請うて、帰り参り候はん。痛うな嘆かせ給ひ候ひそ」と、慰さめ給ふこそ愛ほしけれ。
母上は若君(六代)を抱えて、「わたしだけ殺してください」と言って、泣き叫びました。乳母の女房も、二人の御前に倒れ伏して、声の限り泣き叫びました。日頃は声も立てず、忍んで隠れ住んでいましたが、家の中にいるすべての者たちが、声を合わせて泣き悲しみました。北条(時政)も岩木ではないので、さすがにあわれに思えて、じっと待っていました。しばらくして、また人を遣って申すには、「世もまだ静まっておりません、危ない目に遭うかもしれないのです。ですから時政がお迎えに参ったのです。他意はありません。早く出てください」と申したので、六代は、母上に申すには、「ここから逃げることができない以上、早くここから出してください。武士たちが家にうち入って探すことになれば、みすぼらしい有様も、見られるかもしれません。たとえわたしが出て行っても、しばらくすれば、北条という者に暇を頼んで、帰ってきますから。それほどに嘆くほどのことはありませんよ」と、母を慰めましたがかわいそうなことでした。
(続く)