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「平家物語」女院御出家(その3)

入道にふだう相国しやうこくの御娘なるうへ、天子の国母こくもにてましませば、世の重うし奉ることなのめならず。今年は二十九にじふくにぞならせましましける。桃李たうりの御よそほひなほ細やかに、芙蓉ふようの御かたちもいまだ衰へさせ給はねども、翡翠ひすゐの御かんざし付けても、何にかは、せさせ給ふべきなれば、つひに御様を変へさせ給ひてげり。憂き世をいとひ、まことの道に入らせ給へども、御嘆きはさらに尽きせず。人々今はかくとて海にしづみし有様、先帝、二位殿の御面影、ひしと御身に添ひて、いかならん世に、忘るべしとも思し召さねば、露の御命の、何しに今まで永らへて、かかる憂き目を見るらんとて、御涙堰き敢へさせ給はず。五月の短か夜なれども、明かしか寝させ給ひつつ、おのづからうちまどろませ給はねば、昔のことをば夢にだにも御覧ぜず。壁に背ける残んのともしびの影かすかに、夜もすがら窓打つ暗き雨の音ぞ寂しかりける。上陽人しやうやうじん上陽宮しやうやうきうに閉ぢられたりけん悲しみも、これには過ぎじとぞ見えし。昔を偲ぶ妻となれとてや、元のあるじの移し植ゑ置きたりけん、花橘の風懐かしく、軒近くかをりけるに、山郭公やまほととぎす二声ふたこゑ三声みこゑ音連おとづれてとほりければ、女院、古きことなれども、思し召し出でて、御硯おんすずりふたにかうぞ遊ばされける。

郭公 花橘の 香を留めて なくは昔の 人ぞ恋ひしき




入道相国(平清盛)の娘(二女)である上、天子(安徳天皇)の国母([生母])でしたので、人々が大切なお方とお仕えする様は考えられないようなものでした。今年(文治元年(1185))で二十九歳(史実では三十一歳)になりました。桃李([桃の花とすももの花])のように美しい身なりはすみずみまで気がきいて、芙蓉([ハスの花])のような姿かたちは今も衰えてはいませんでしたが、翡翠([翡翠輝石])のかんざしを付けても、何のために、そうする理由もなくなってしまい、とうとう姿を変えて出家なされました。憂き世を避けて、真理の道に入りましたが、それでも悲しみはさらに尽きることがありませんでした。平家の者たちは海に沈んでしまいました、先帝(安徳天皇、建礼門院の子)や、二位殿(二位尼平時子ときこ。清盛の継妻で建礼門院の生母)の面影、今もしっかりとこの身から離れず、いったいどんな世ならば、忘れることができるのかと思い悩み、露のようにはかない命なのに、わたし(建礼門院)だけがどうして今まで生き延びて、こんなつらい目にあうのだろうと、涙があふれ出て塞き止めることができませんでした。五月の短い夜(五月は日の出が一番早いのです)ですが、夜を明かし寝て、自然とまどろんでも、昔のことを夢にさえ見ませんでした。壁に背を向けた残り灯の影がかすかに揺れて、夜どおし窓を叩く雨の音が寂しく聞こえました。上陽人([上陽宮にいた宮女、楊貴妃が唐の皇帝であった玄宗の寵愛を一身に集めたことから、不遇な一生を送った女性のたとえ])が上陽宮([唐代、洛陽にあった宮殿、洛陽は今の中国河南省北西部の都市])で不遇の一生を送った悲しみも、建礼門院の悲しみには遠く及ばないように思えました。昔を思い出すようにと思ってか、元のあるじが移し植えた、橘(ミカン科)の花の匂いが懐かしく、軒近くに香りをふりまいて、ほととぎす(カッコウ科)が二声三声鳴きながら通り過ぎていきました、建礼門院は、昔のことを、思い出して、硯箱の蓋にこう書きました。

ホトトギスよ。椿の花の香りをその体に移して、鳴くのは昔のあるじを恋しく思うからですか。昔を思い出して泣くわたしと同じように。


続く


by santalab | 2013-11-21 09:02 | 平家物語

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