さて傍らを叡覧あるに、御寝所と思しくて、竹の御竿に、麻の御衣、紙の衾なんど掛けられたり。さしも本朝漢土の妙なる類数を尽くし、繚乱錦繍の装ひも、さながら夢にぞなりにける。法皇御涙を流させ給へば、供奉の殿上人も、まのあたり見奉りしことども、今のやうに思えて、皆袖をぞ絞られける。ややあつて上の山より、濃き墨染めの衣着たりける尼二人、岩の懸け路を伝ひつつ、下り煩ひたる様なりける。
後白河院があたりを見渡すと、建礼門院の寝所と思われる、竹の竿に、麻衣([麻布で作った粗末な着物])、紙で作った粗末な衾([掛け布団])などが掛けてありました。それはまるで本朝([我が国])漢土([中国])の美しい品々を数を尽くし、繚乱錦繍([繚乱]=[入り乱れること]、[錦繍]=[美しい織物、衣服])で着飾ったことも、すべて夢になってしまったようでした。後白河院が涙を流すと、お供の公卿(三位以上)殿上人(三位以上と四位、五位のうち特に許された者、六位蔵人)も、目前に見るものが、建礼門院の今の姿と思えて、皆涙で濡れた袖を絞っていました。少したって上の山より、濃い墨染めの法衣を着た尼が二人、岩の険しい道をつたって、下るのに難儀している様子でした。