「世を厭ふ御習ひ、何か苦しう候ふべき。早や早や御見参あつて、還御なし参らさせ候へ」と申しければ、女院御涙を抑へて、御庵室に入らせおはします。「一念の窓の前には、摂取の光明を期し、十念の柴の枢には、聖衆の来迎をこそ待ちつるに、思ひのほかの御幸かな」とて、御見参ありけり。法皇この御有様を叡覧あつて、仰せなりけるは、「悲想の八万劫、なほ必滅の愁へに会ひ、欲界の六天、いまだ五衰の悲しみを免かれず。喜見城の勝妙の楽、中間禅の高台の閣、夢の内の果報、また幻の間の楽しみ、すでに流転無窮なり。車輪の回るが如し。
阿波内侍は「世を逃れて出家された上は、後白河院とお会いになられても何の不都合もございません。さあ早くお会いになられてから、お帰りいただいてはどうでしょう」と申したので、建礼門院は涙を抑えて、庵に入りました。建礼門院は、「一度念仏を唱えては、摂取([仏が衆生を救うこと])の光明([仏、菩薩の心身から発する光])を期待し、十念([仏、法、僧、戒、施、天、休息、安般、身非常、死の十について念ずること])しては柴の戸から、聖衆([極楽浄土の諸菩薩])の来迎([極楽浄土へ導くため阿弥陀仏や諸菩薩が紫雲に乗って迎えに来ること])を待ち望んでおりましたが、思いのほか後白河院が御幸に参られるとは」と申して、後白河院と対面しました。後白河院は建礼門院をご覧になられて、仰られるには、「悲想(非想非非想天、有頂天、[衆生の世界である三界、欲界、色界、無色界の最頂部、無色界の第四天にあるという仏界に最も近い所])では八万劫(劫は時間の最長単位、仏教では何年と決められていないそうですが、ヒンドゥー教では43億2000万年を表すらしい)の寿命が与えられるそうだが、それでも死からは逃れられないし、欲界の六天([六欲天]=[四王天、たう利天、夜摩天、兜率天、楽変化天、他化自在天])では、五衰([天人の死に際して現れるという五種の衰えの相])すら免れることはできないそうだ。喜見城(たう利天にはあの帝釈天が住んでいるといわれていますが、その御殿が喜見城とのこと)では勝妙([きわめてすぐれていること])の曲を聞いたり(喜見城の庭園では諸天人が遊び戯れているらしい)、中間禅(色界の中間あたりらしい)に高くそびえ建つ閣に上ることも、夢の中だけの果報([前世での行いの結果として現世で受ける報い])、または幻として見る楽しみにすぎず、流転無窮([流転]=[迷いの生死を繰り返すこと]、[無窮]=[果てしないこと])というものか。人間というものは車輪が回るように同じことを繰り返しているだけのことだ。
(続く)