この国は粟散辺土と申して、心憂き境ひにて候ふ。あの波の下にこそ、極楽浄土とて、めでたき都の候ふ。それへ具し参らせ候ふぞ』と、様々に慰め参らせしかば、山鳩色の御衣に角髪結はせ給ひて、御涙に溺れ、小さう美しき御手を合はせ、先づ東に向かはせ給ひて、伊勢大神宮に御暇申させ給ひ、その後西に向かはせ給ひて、御念仏ありしかば、二位の尼先帝を抱き参らせて、「波の底にも都の候ふぞ」と慰め参らせて、千尋の底に沈み給ふ。悲しきかな、無情の春の風、たちまちに花の御姿を散らし、いたましきかな、分段の荒き波、玉体を沈め奉る。
この国は粟散辺土([辺地にあるあわ粒を散らしたような小国])と言って、心苦しい場所なのです。あの波の下には、極楽浄土([天国])と言う、とてもよい都がございます。そこへ君といっしょに参りましょう』と、たくさん先帝を慰めて、山鳩色([黄色みがかった緑色])の着物に髪の毛を結んで、涙にふけりながら、小さくて美しい手を合わせ、まずは東に向かわせ、伊勢大神宮に天皇を下りることを申させて、その後西に向かわせ、念仏を唱えさせてから、二位尼(安徳天皇の祖母)は先帝(安徳天皇)を抱いて、「波の底にも都はありますよ」と慰めてから、深い海の底に沈んでいきました。悲しいものでした、春の花を散らす無情の春の風が、たちまちに花の姿を散らしたかと思えば、悲惨なことに、生死を分ける分段([分段生死]=[人の身は寿命、果報などに一定の限界があるところから分段という])の荒波が、玉体([天子の体])を沈めたのでした。
(続く)