殿をば長生と名付けて、永き住みかと定め、門をば不老と号して、老いせぬ鎖しとは書きたれども、いまだ十歳の内にして、底の御屑とならせおはします。十善帝位の御果報、申すも中々愚かなり。雲上の竜下りて、海底魚となり給ふ。大梵高台の閣の上、釈提喜見の宮の内、古は槐門棘路の間に、九族をなびかし、今は船の内波の下にて、御身を一時に滅ぼし給ふこそ悲しけれ。
殿を長生と名付けて([長生殿]=[唐の太宗、李世民驪山に建てた離宮])、終の住みかと定め、門を不老と呼んで([不老門]=[洛陽の城門]、[平安京大内裏の豊楽院の北門])、老いのないように鎖し([門戸をとざすこと])をかけたけれども、まだ十歳にならないうちに、海底の藻屑になってしまわれました。十善帝位([十善の君]=[天皇])の果報([前世での行いの結果として現世で受ける報い])と、申すのも愚かなことです。雲上の竜が下って、海底の魚になってしまわれました。大梵天([色界四禅天の一番目、初禅天にあるらしい])の高台の塔の上、喜見城([たう利天にあるという帝釈天の城])の内、古くは槐門棘路([中国周代に、槐と棘を植えて、三公九卿の座を決めたらしい])に、九族([自分を中心とした九世代、高祖父母、曾祖父母、祖父母、父母、自分、子、孫、曾孫、玄孫])を服従させて、今は船の中波の下で、その身をしばらく滅ぼされたのは悲劇というほかありませんでした。
(続く)