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「保元物語」新院御所各門々固めの事付けたり軍評定の事(その3)

しかれども、為朝ためともなほ参洛せざりければ、同じ二年四月三日、父為義ためよしを解官せられて、前検非違使になされにけり。為朝これを聞いて、「親の咎に当たり給ふらむこそ浅ましけれ。その義ならば、我こそいかなる罪科にも行はれんず」とて、急ぎ上りければ、国人どもも上洛すべき由申せけれども、「大勢にて罷り上らん事、上聞穏便ならず」とて、型の如くに付き従ふ兵ばかり召し具しけり。乳母子の矢前払の須藤九郎家季いへすゑ・その兄隙間あきまかぞへの悪七あくしち別当・手取りの与次・同じく与三郎・三町つぶての紀平次太夫・大の矢新三郎・越矢の源太・松浦の次郎・左中次・吉田の兵衛太郎・打ち手の紀八・高間の三郎・同じく四郎を始めとして、二十八騎ぞ具したりける。よつて去年より在京したりしを、父不孝を許して、この御大事に召し具しけるなり。




それでもなお、為朝(源為朝)はまだ京に上ってきませんでしたので、同じ久寿二年(1155)四月三日に、父為義(源為義)は官職を解かれて(為義は、左衛門大尉兼検非違使でした)、前検非違使(つまり無職)になりました。為朝はこれを聞いて、「親に罪が及ぶとは嘆かわしいことだ。そういうことならば、このおれにどんな処罰でも与えてくれ」と言って、急いで京に上りました、国人たちも一緒に上洛したいと申しましたが、「大勢で上ることを、天皇がお聞きになればただではすまないだろう」と言って、いつも付き従っている兵だけを連れて行きました。乳母子の矢前払の須藤九郎家季(須藤家季=平家季)その兄隙間かぞへの悪七別当(須藤景清かげきよ=平景清)・手取りの与次・同じく与三郎・三町礫の紀平次太夫・大の矢新三郎・越矢の源太・松浦の次郎・左中次・吉田の兵衛太郎・打ち手の紀八・高間の三郎・同じく四郎をはじめとして、二十八騎だけを供に付けました。為朝は去年より京に留まっていましたが、父は為朝の不孝を許して、この合戦に参加させました。


(隙間かぞへ、手取り、三町礫、越矢、打ち手というのは、それぞれの「得意技」ということなんですが、さほど強そうにも思えない「ネーミング」のようにも思えます。もう少し、「センス」が欲しかった。)


続く


by santalab | 2013-11-26 09:02 | 保元物語

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