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「保元物語」朝敵の宿所焼き払ふ事(その1)

さるほどに七月十一日寅刻に合戦始まり、辰の時に白河殿敗れて、新院も左大臣殿も、行方知らず落ちさせ給ひければ、未の刻に義朝よしとも・清盛内裏へ帰り人参つて、この由を奏聞す。そのてい由々しかりけり。蔵人右少弁資長すけながを以つて、朝敵追討早速にその功を致す由、叡感ねんごろなり。すなはち周防判官承つて、三条烏丸の新院の御所へ馳せ向かつて焼き払ふ。左府の五条壬生の亭をば、助経すけつね判官承つて、発向して火を懸けり。同じく謀反人の宿所ども十二箇所、各検非違使ども行き向かつて追捕ついぶして焼き払ふ。南都の方様いまだしづまらざれば、狼藉もやあるとて、申刻に宇治橋守護のために、周防判官季実をさし遣はさる。




さるほど七月十一日虎の刻(午前四時頃)に合戦が始まり、辰の時(午前八時頃)には白河殿(崇徳院の御所)は敗れて、新院(崇徳院)も左大臣殿(藤原頼長よりなが)も、行方知れず逃げてしまったので、未の刻(午後二時頃)に義朝(源義朝)・清盛(平清盛)は内裏へ帰って宮中に参って、後白河天皇にこれを奏聞しました。その姿はとてもりっぱに見えました。蔵人右少弁資長(藤原資長)から、朝敵追討をさっそく成し遂げたことを伝えると、後白河天皇はとても感心しました。すぐに周防判官(源季実すゑざね)はこれを受けて、三条烏丸の崇徳院の御所に急ぎ向かって焼き払いました。藤原頼長([左府]=[左大臣])の五条壬生殿は、助経判官(新藤助経)が受けて、出向いて火をかけました。同じく謀反人の宿所十二箇所は、それぞれ検非違使たちが没収して焼き払いました。奈良の方はまだ静まっていなかったので、狼藉([乱暴な行い])があるかもしれないと、申刻(午後四時頃)に宇治橋([京都府宇治市、宇治川にかかる橋])を守護するために、源季実を遣わせました。


続く


by santalab | 2013-11-27 08:58 | 保元物語

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