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「保元物語」朝敵の宿所焼き払ふ事(その2)

今度の御合戦に、事故ことゆゑなく打ち勝たせ給ふ事、すべては伊勢大神宮・石清水八幡大菩薩の御加護とぞ思えし。殊には日吉の社に祈り申させ給けり。されば宸筆の御願書を、七条の座主の宮へ参らさせましましければ、座主この御願書を、大宮の神殿に籠めて、肝膽かんたんを砕きて祈り申させ給しかば、御門徒の大衆は申すに及ばず、満山の諸徳、皆、宝祚ほうそ長久ちやうきう・凶徒退散の由の所請をぞいたしける。されば山王七社も、官軍の方に立掛けらせ給けるにや、頼賢よりかた為朝ためとも忠正ただまさ家弘いへひろ以下の軍兵、ここを前途と防ぎ戦ひしかども、程なく攻め落とされて、朝敵は風の前の塵のごとく、聖運は月とともにぞ開けける。




今度の合戦に、さしさわりなく打ち勝ったことは、すべて伊勢大神宮(今の三重県伊勢市にある伊勢神宮)・石清水八幡大菩薩(今の京都府八幡市にある石清水八幡宮)の加護([神仏がその力によって衆生を守り助けること])があったからだと思われました。その上に日吉の社(今の滋賀県大津市にある日吉大社)に祈ったからでもありました。そういうわけで宸筆([天子の直筆])の願書([神仏に対する願いを記した文書])を、七条の座主の宮(天台座主最雲さいうんらしい。最雲の父は後白河天皇の父、堀河天皇で、最雲は親王宣下を受けて法親王となった)の許へ届けました、座主最雲はこの願書を、大宮(日吉大宮)の寝殿に奉納し、懸命に祈り申し上げたので、門徒([宗門を同じくする寺院の僧侶])の大衆([僧])は言うに及ばず、満山([全山])の諸徳([多くの徳の高い僧])は、皆、宝祚長久(皇位が長く続くこと)・凶徒退散(謀反を働く者がいなくなること)を願いました。なので山王七社([日吉神社の本社、摂社。末社を合わせて二十一社の上の七社。大宮、二宮、聖真子、八王子、客人、十禅師、三宮の七所])も、官軍(後白河天皇方)の方について立ち上がったので、頼賢(源頼賢)・為朝(源為朝)・忠正(平忠正。清盛の父忠盛ただもりの弟)・家弘(平家弘)以下の兵は、ここで運命が決まると防ぎ戦いましたが、あっという間に攻め落とされて、朝敵(崇徳院方)は風の前の塵のように、聖運([天子の運命])は月が上るとともに決定付けられました。


続く


by santalab | 2013-11-27 09:07 | 保元物語

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