昨日、官使能景に仰せて、多田蔵人大夫頼憲、正親町富小路の家を追捕せられけるに、頼憲が郎等四五人、いまだ家にありしかば、命も惜まず散々に戦ひける間、能景が兵多く討たれ、疵を蒙て引き退く。その暇に屋に火をかけ、煙の中にて皆自害してけり。今日十九日、源平七十余人、首を斬られけるこそ浅ましけれ。
昨日、官使能景に命じて、多田蔵人大夫頼憲(多田頼憲)の、正親町富小路の家を追捕([没収すること])しようとしましたが、頼憲の郎等([家来])が四五人、まだ家に残っていて、命を惜しまずに散々に戦い向かってきたので、能景の兵も多く討たれて、傷を負って引き退きました。その間に家来たちは家に火を放ち、煙の中で皆自害しました。今日七月十九日には、源平七十人余りが、首を斬られましたが嘆かわしいことでした。
(続く)