その後押し寄せ押し寄せ戦へども、打ち入る者こそ無かりけれ。館の中には少しも騒がず防ぎけり。「上土門をば破り得ず。大門を打ち破れ」とぞ下知しける。判官これを聞きて、「敵に打ち破られては見苦し。内より開けよ」と言ひければ、治部の次郎押し開き、「疾く疾く御入り候へ」とぞ申しける。
その後後鳥羽院方は押し寄せ押し寄せ戦いましたが、殿に打ち入る者はいませんでした。殿の中は少しも騒ぎにならず防御しました。三浦胤義は「上土門([平らな屋根の上に土をのせて造った門])を壊すことができない。大門([表門])を打ち破れ」と命じました。判官(伊賀光季)はこれを聞いて、「敵に打ち破られるのはみっともない。内より開けてやれ」と言ったので、治部次郎が大門を押し開き、「早く入りなさい」と申しました。
(続く)