大宮を上りに、船岡山へぞ行たりける。峰より東なる所に輿かき据へて、いかがせましと思ふ処に、七に成る天王走り出て、「父はいづくにおはしますぞ」と問ひ給へば、延景涙を流して、しばしは物も申さざりしが、よくありて、「今は何をか隠し参らすべき。大殿は守殿の御承りにて、昨日の暁斬られさせ給ひ候ひき。御舎兄たちも、八郎御曹子の外は、四郎左衛門殿より九郎殿まで、五人ながら、昨夜これ面に見え候ふ山本にて斬られ奉り候ぬ。君達をも失ひ申すべきにて候ふ。相構へてすかし出し参らせて、侘しめ奉らぬ様にと仰せ付られ候ふ間、入道殿の御使ひとは申し侍るなり。思し召し事候はば、延景に仰せ招かせ給ひて、皆御念仏候べし」と申せば、四人の人々これを聞き、皆輿より下り給ふ。
大宮(今の京都市北区大宮)を上って、子どもたちを船岡山(今の京都市北区)に連れていきました。峰より東の所に輿を置いて、どうしたものかと延景が迷っていると、七歳になる天王が輿から走り出て、「父はどこにおられます」と聞いたので、延景は涙を流して、しばらく何も言えませんでしたが、じゅんぶん間を置いてから、「今となっては何も隠しません。大殿(源為義。義朝の父、頼朝、義経の祖父)は守殿(平清盛)の命により、昨日の夜明け方に斬られました。あなたたちの兄弟たちも、八郎御曹子(源為朝)のほかは、四郎左衛門殿(源頼賢)から九郎殿(源為仲)まで、五人(四男頼賢、五男頼仲、六男為宗、七男為成、九男為仲)すべて、昨夜この前に見える山のふもとで斬られました。あなたたちも斬らなくてはなりません。そうと悟られないようにだましてここへ連れてきて、斬るようにと命じられたので、為義殿の使いだと申したのです。これを運命だと思って、延景に命を預けてください、皆念仏を唱えなさいませ」と言えば、四人の子どもたちはこれを聞いて、皆輿から下りました。
(続く)