人気ブログランキング | 話題のタグを見る

Santa Lab's Blog


「保元物語」為義の北の方身を投げ給ふ事(その2)

延景のぶかげ並びに介錯の女房など、様々に申しけるは、「御嘆きはさる御事にて候へども、御身ひとりの事ならず、大殿並びに君たちの御事思し召さんに付けても、御様など変へさせ給ひて、一筋に亡き御跡をとぶらひ参らせらるべきなり。御身をさへ失はせ給ひなば、亡き人の御ためいよいよ罪深かるべき御事なり。されば左大臣殿の北の方も、御様を変へさせ給ふ。平馬助殿の女房も、五人の子どもにをくれて、さこそは心憂く思し召しけめども、それも様を変へてこそおはしませ。たとひ今御命を失ふとも、六道四生の間に、入道殿にも君達にも、あひ参らせらるる事有り難かるべし。香のけぶりかたちを見、まぼろしの便りに声を聞きしも、皆身を全くしたりし故なり」など慰め奉れば、「わらはもさこそは思へども、今日明日様を変へんには、誰かは落人の方様の者と思はぬ人はあらじ。しからば名乗らずは左右なく許すまじ。明かさんにつけては、為義入道の妻の、とありてかくありてと言はれん事も恥づかし。その上、人は一日一夜をるにも、八億四千の思ひありと言ふ。事なる思ひなき人も、さほどの罪のあんなるに、たとひ出家となりたりとも、月日の経たんに従ひて、歳老たる人を見ん時は、入道殿もあの齢にあらんと思ひ、幼き者を見ん折は、我が子どももこれほどにはなりなんと思はんつゐでの度ごとに、斬らせん人も恨めしく、斬りけん者も情けなく思はん事も心憂し。然れば凡夫の習ひにて、我が身の物を思ふやうに、人も嘆きのあれかしと思はん心も罪深し。かかる憂へに沈みては、念仏もさらに申されじ。ただ同じ道に」と嘆き給ふを、色々に慰め奉れば、「さらばせめて七条朱雀を見ばや」とのたまへば、各々をのをのよろこびてかれに輿を舁き据へたれども、何の名残りも見え分かず。




延景(波多野延景)や付き添いの女房たちが、口々に言うには、「お嘆きはもっともですが、あなたひとりだけのことではございません、大殿(源為義ためよし)や子どもたちのことを思うに付けても、様を変え出家して、ひたすら亡き跡を供養なさいませ。あなたさえいなくなれば、亡き人にとって罪深い事です。左大臣殿(藤原頼長よりなが)の北の方も、出家なさいました。平馬助殿(平忠正ただまさ。清盛の伯父)の女房も、五人の子どもたちに先立たれて、それこそ心苦しく思っておられましたが、やはり様を変えて出家されました。たとえ今命を失っても、六道四生([六道]=[地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道、天道]、[四生]=[胎生、卵生、湿生、化生けしやう])の間で、入道殿(為義)にも子どもたちにも、再び会うことは難しいことです。香の煙に彼らの姿を見、まぼろしに便りの声を聞くことも、皆命あってのことでございますれば」などと慰めました、北の方は、「わたしもそのように思いますが、昨日今日姿を変えれば、誰か落人の妻と思わない人はいないでしょう。そうであれば名乗らないわけには参りません。名を明かせば、為義入道の妻だと、ああだこうだと言われるのが嫌なのです。その上、人は一日一夜の間に、八億四千の悩みがあると言います。悩みのなかった入道殿や子どもたちでさえ、こうして罪にあったのです、たとえ出家したとしても、月日が経つにつれ、歳老いた人を見れば、入道殿(為義)もあの歳まで生きていてほしかったと思い、幼い者たちを見れば、わたしの子どもたちもこれほどになると思う度ごとに、斬らせた人も恨めしく、斬った者も無情だと思うことが辛いのです。ならば凡夫([仏教の教えを理解していない人])として、わたしが悲しむように、人も同じく悲しめばよいのにと思う心さえも罪深いことです。こんなに悲しくては、念仏を唱えることさえできません。ただ彼らと同じように」と嘆くのを、口々に慰めました、北の方は、「ならばせめて七条朱雀まで参りましょう」と言ったので、皆よろこんで輿に乗せて行きましたが、何も名残りのものは残っていませんでした。


続く


by santalab | 2013-11-28 10:50 | 保元物語

<< 「保元物語」為義の北の方身を投...      「保元物語」為義の北の方身を投... >>

Santa Lab's Blog
by santalab
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧