御曹子は、「思ひもよらず、沖の方に舟の音のしけるは、なに舟ぞ。見て参れ」とのたまふ。「商人舟やらん、多く連れ候ふ」と申せば、「よもさはあらじ。我に討つ手の向かふやらん」とのたまへば、案の如く兵船なり。「さては定めて大勢なるらん。たとひ一万騎なりとも、うち破つて落ちんと思はば、ひとまどは鬼神が向かひたりとも射払ふべけれども、多くの軍兵を損じ、人民を悩まさんも不便なり。勅命を背きて終には何の甲斐かあらん。去んぬる保元に勅勘を被つて流罪の身となりしかども、この十余年は当所の主となりて、心ばかりは楽しめり。それ以前も九国を管領しき。思ひ出なきにあらず。筑紫にては菊池・原田の兵をはじめて、西国の者どもは、皆我が手柄のほどは知りぬらん。都にては源平の軍兵、殊に武蔵・相模の郎等ども、我が弓勢をば知りぬらんものを。その外の者ども甲冑を鎧ひ、弓箭を帯したる計りにてこそあらんずれ。為朝に向かつて弓引かん者は思えぬものを。今都よりの大将ならば、ゆがみ平氏などこそ下るらめ。一々に射殺して、海にはめむと思へども、終に叶はぬ身に無益の罪作つてなにかせん。今まで命を惜しむも、自然世もたて直らば、父の意趣をも遂げ、我が本望をも達せばやと思へばこそあれ。またその上説法を聞きしに、欲知過去因、見其現在果、欲知未来果、見其現在因と言へり。されば罪をつくらば、必ず悪道に落つべし。しかれども、武士たる者殺業なくては叶はず。それに取つては、武の道、非分の者を殺さず。よって為朝合戦する事二十余度、人の命を断つ事数を知らず。されども分の敵を討つて非分の者を討たず。鹿を殺さず、鱗を漁らず、一心に地蔵菩薩を念じ奉る事二十余年なり。過去の業因によつて今かやうの悪身を受け、今生の悪業によつて来世の苦果思ひ知られたり。されば今、この罪ことごとく懺悔しつ。ひとへに仏道を願ひて念仏を申すなり。この上は兵一人も残るべからず、皆落ち行くべし。物具も皆龍神に奉れ」とて、落行者どもに各々形見を与へ、島の冠者為頼とて、九歳になりけるを呼び寄せて刺し殺す。これを見て、五つになる男子、二つになる女子をば、母抱きて失せにければ力なし。
御曹子(源為朝。為義の子)は、「思いがけなく、沖の方で舟の音がするぞ、何の舟か。見てこい」と言いました。「商人の舟ではないでしょうか、たくさんの数です」と言ったので、為朝は、「そうではない。きっとわたしを討つために向かってくるのだろう」と言いました、案の定兵船でした。「ならばきっと大勢に違いあるまい。たとえ一万騎であっても、うち破ってでも落ちようと思えば、とりあえず鬼神が向かってこようとも射払うのだが、多くの軍兵を失い、人民が悩むのもかわいそうなことだ。勅命に背いたあげくに何か甲斐があるだろうか。去る保元に勅勘([天皇から受けるとがめ])を受けて流罪の身となったが、この十年余りはこの地の主となって、心ばかりは楽しめた。それ以前も九州を支配した。思い出がないわけではない。筑紫の菊池・原田の兵をはじめとして、西国の者たちは、皆わたしの手柄を知らないだろう。都の源平の軍兵、特に武蔵・相模の家臣たちも、わたしの弓の威力を知ってはおるまい。その他の者たちは甲冑を着て、弓を持っただけの者たちだ。わたしに向かって弓を引く者たちとは思えない。今都からの大将であれば、悪者である平氏など下ってこないだろう。一人一人射殺して、海に落としてしまおうとも思うが、終に夢叶わぬ身で無益の罪をつくって何になることか。今まで命を惜しんだのも、万一世の中が元通りになったなら、父(為義)の遺志もなし遂げ、我が本望も達せようと思へばこそだ。あの当時説法を聞いたが、過去の因を知らんと欲すれば、まさに現在の果を観るべし。未来の果を知らんと欲すれば、まさに現在の因を観るべし(過去の原因を知ろうとすれば、今の結果を見ればよい。未来の結果を知ろうとすれば、今の原因を見ればよい)と言っていた。ならば罪を作れば、必ず悪道([現世で悪事をした結果、死後におもむく苦悩の世界。地獄、餓鬼、畜生])に落ちるに違いない。しかしながら、武士である者は殺業なくしてはおれないものだ。そうであれば、武の道として、過分に殺さないことだ。わたしは合戦すること二十度余り、人の命を奪うこと数知れない。けれども分のある敵を討って道理のない者は討たなかった。鹿を殺さず、魚を獲らず、一心に地蔵菩薩に祈ること二十年余りになる。過去の業因([未来に苦楽の果報を招く原因となる善悪の行為])によって今このような悪身を受けて、今生の悪行によって来世の苦果([過去の悪業のむくいとして受ける苦しみ])を思い知るのだ。ならば今、この罪のすべてを懺悔しなくてはならない。ただ一つ仏道を願って念仏を唱えよう。こうなった以上兵は一人も残るな、皆落ち行け。武具はすべて龍神に奉納せよ」と言って、落行者たち一人一人に形見を与え、島の冠者為頼(源為頼)という、九歳になる子を呼び寄せて刺し殺しました。これを見て、五歳になる男の子、二歳になる女の子を、母が抱いたまま逃げてしまったのでどうすることもできませんでした。
(続く)