人気ブログランキング | 話題のタグを見る

Santa Lab's Blog


「保元物語」為朝鬼が島に渡る事並びに最後の事(その6)

その後は、船どもはるかに漕ぎ戻して申しけるは、「八郎殿の弓勢は、今に始めぬ事なれども、いかがはすべき。我らがよろひを脱ぎて、船にや着する」など、色々の支度にてほどれども、さし出づる敵もなければ、またおづおづ船を漕ぎ寄せけれども、敢へて手向かひする者もなし。これに付けても、たばかつて陸に上げてぞ討たんずらんと、心に鬼を作つて、左右なく近付かず。されども波のうへに日ををくるべきかとて、思ひ切つて、馬の足立つほどにもなりしかば、馬ども皆追ひ下ろして、ひたひたと打ち乗つておめいて駆け入れども、立て合ふ者のやうに見え、なけれども太刀を持つやうに思え、眼勢・事柄、敵の討ち入るらむを差し覗く体にぞありける。されば、かねて我真つ先駆けて討ち捕らんと申せし兵ども、これを見て討ち入る者一人もなし。全官軍の臆病なるにもあらず、ただ日頃、人ごとに怖ぢ習ひたるいはれなり。かやうに随分の勇士どもも、わろびれて進み得ず、ただ外溝を取りまはせるばかりなり。ここに加藤次景廉かげかど、自害したりと身を伏せてやありけん、長刀を持つて後ろより狙ひ寄りて、御曹子の首をぞ討ち落としける。よつてその日の高名の一の筆にぞ付たりける。首をば同じ五月に都へ上せければ、院は二条京極に御車を立てて叡覧あり。京中の貴賎道俗、郡集す。




船が沈められた後は、船をはるか沖に漕ぎ戻して相談するには、「八郎殿(源為朝ためとも)の弓の威力は、今更言うまでもないことだが、どうすればよいのか。わたしたちの鎧を脱いで、船に着せようか」などと、色々準備してしばらく経ちましたが、向かってくる敵もいないので、またこわごわ船を島に漕ぎ寄せたものの、進んで為朝に立ち向っていく者はいませんでした。敵がいないのは、我らを騙して陸に上げて討とうとしているのではいかと、無用に想像して、とにかく近付くことができませんでした。しかしながら波の上で日を送るのもどうかと思い、思い切って、馬の足が立つほどになれば、馬を皆船から下ろして、急ぎ馬に乗って喚き声を上げて駆けていくと、手向かう者がいるように見え、実はいないのに太刀を持っているように思え、眼勢・有様は、まるで敵が向かってくるのを窺っているかのように思えるのでした。こうして、我こそ真っ先に駆けて為朝を討ち捕ると言っていた兵たちも、これを見て討ち入る者は一人もいませんでした。全官軍が臆病であったのではなく、日頃より、人々が為朝を恐れるようになっていたからでした。このように大勢の勇士たちも、恐れて進むことができずに、ただ外溝を巡らしているばかりでした。加藤次景廉(加藤景廉。加藤景員かげかずの次男)は、為朝が自害したように見せかけて身を伏せているのかも知れないと、長刀を持って背後より近付いて、為朝の首を討ち落としました。これによってその日の高名([手柄])の筆頭になりました。為朝の首が同年(1170)五月に京に持ち上ると、後白河院は二条京極に車を出してご覧になられました。京中の貴賎も道俗([僧侶と俗人])も、為朝の首を見ようと集まってきました。


続く


by santalab | 2013-11-29 16:26 | 保元物語

<< 「保元物語」為朝鬼が島に渡る事...      「保元物語」為朝鬼が島に渡る事... >>

Santa Lab's Blog
by santalab
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧