この為朝は、十三にて筑紫へ下り、九国を三年に討ち従へて、六年治めて十八歳にて都へ上り、保元の合戦に名を顕し、二十九歳にて鬼が島へ渡り、鬼神を捕つて奴とし、一国の者怖ぢ恐ると言へども、勅勘の身なれば、終に本意を遂げず、三十三にして自害して、名を一天に広めけり。いにしへより今にいたるまで、この為朝ほどの血気の勇者なしとぞ諸人申しける。
為朝(源為朝。源頼朝の父義朝の異母弟ですから、頼朝の伯父)は、十三歳で筑紫国(今の福岡県)へ下り、九国([九州])を三年の間に討ち従えて、六年間治めてから十八歳で京に上り、保元の合戦に名をとどろかせ、二十九歳で鬼が島に渡り、鬼神を捕らえて下僕として、一国の者たちをおびえ恐れさせたというものの、勅勘([天皇から受けるとがめ])を被る身であったので、ついには本望を遂げることなく、三十三歳で自害して、名を国中に広めました。遠い昔より今にいたるまで、為朝ほど血気盛んな勇者はいなかったと人々は言いました。
(終)