御園の右馬の丞・志賀の平四郎射られて引いて出づ。内には頼みつるに、贄田の三郎大事の手負うて腹を切る。治部の次郎自害す。宗との二人自害するを見て、残る者ども矢は射尽くしつ。内へ入つて自害す。敵庭に乱れ入りければ、二十七人籠りつる兵十余人落ちにけり。十人は自害して、判官父子贄田の右近・政所の太郎四人にぞなりにける。
御園右馬丞・志賀平四郎は射られて殿を出て行きました。内々頼りにしていた、贄田三郎は大事の疵を負って腹を切ました。治部次郎は自害しました。主だった二人が自害するのを見て、残る者たちは矢を射尽くしました。家の中に入って自害しました。敵が庭に乱れ入ったので、二十七人籠っていた兵のうち十人余りが落ちて行きました。十人は自害して、残るは判官父子(伊賀光季とその子伊賀光綱)と贄田右近・政所太郎の四人になりました。
(続く)