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「増鏡」藤衣(その9)

さて同じき四日、下りさせ給ふ。御悩み重きによりてなりけり。去年こぞの二月、きさいの宮の御腹に、一の御子出で来給へりしかば、やがて太子に立たせ給ひしぞかし。例の人の口さがなさは、かの承久じようきう廃帝はいたいの、生まれさせ給ふと等しく坊に給へりしは、いと不用なりしを」など言ふめり。うへは下りさせ給ひて、その七日やがて尊号あり。御悩みなほ怠らず。大方、世もしづかならず。この三年みとせばかりは、天変しきり地震なゐ振りなどして、さとし繁く、御慎み重きやうなれば、いかがおはしまさむと、御心ども騒ぐべし。




そして同じ十月四日に、後堀河天皇(第八十六代天皇)は位を下りられました。病いを重らせてのことでございました。去年の二月に、后の宮(後堀河天皇中宮、藤原竴子よしこ=九条竴子)に、第一皇子がお生まれになられておりましたので、やがて皇太子に立たれたのでございます(秀仁みつひと親王。第八十七代四条天皇)。いつものことでございますが人の言葉に遠慮はございません、承久の乱(1221)で廃帝(第八十五代仲恭ちゆうきよう天皇)がお生まれになられた同じ坊([皇太子の居所])におられたお方なら、きっとすぐに位を下りられることでしょう」などと言っておりました。上(後堀河天皇)が位を下りられた、その十月七日にやがて尊号が下されました。病いはよくなられませんでした。おおよそ、世の中も静かではございませんでした。この三年ばかりは、地震が度々あって、諭し([神託])も頻繁に、慎み深くなさいと告げられたので、後堀河院はいかがすべきかと、お悩みになられておいででございました。


続く


by santalab | 2013-12-02 08:19 | 増鏡

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