別当この子の遅く生まるる事不思議に思はれければ、産所に人を遣はして、「如何様なる者ぞ」と問はれければ、生まれ落ちたる気色は世の常の二三歳ばかりにて、髪は肩の隠るる程に生ひて、奥歯も向歯も殊に大きに生ひてぞ生まれけれ。別当にこの由を申しければ、「さては鬼神ごさんなれ。しやつを置いては仏法の仇となりなんず。水の底に柴漬にもし、深山に磔にもせよ」とぞのたまひける。
熊野別当はこの子(弁慶)が遅く生まれたのを不思議に思って、産所に人を遣わして、「どのような子だ」と訊ねると、生れ落ちた姿は世の常の二三歳ほどの大きさで、髪は肩が隠れるほど長く生えて、奥歯も向歯([上あごの前歯])もとりわけ大きく生えて生まれました。熊野別当にこれを知らせると、「きっと鬼神に違いない。やつを生かしておけば仏法の仇([害をなすもの])となるであろう。水の底に紫漬([水中に沈めること])にするか、深山で磔にせよ」と申しました。
(続く)