衆徒僉議して、僧正の児なりとも、山の大事にてあるぞとて、大衆三百人院の御所へ参りて申しければ、「それほどの僻事の者をば急ぎ追ひ失へ」と院宣ありければ、大衆悦び、山上へ帰所に公卿僉議ありて、古き日記見給へば、「六十一年に山上にかかる不思議の者出で来にければ、朝家の祈祷になる事あり。院宣にてこれを鎮めつれば、一日が中に天下無双の願所五十四箇所ぞと言ふ事あり。今年六十一年に相当たる。ただ棄て置け」とぞ仰せける。衆徒憤り申しけるは、「鬼若一人に三千人の衆徒と思し召し代へられ候ふこそ遺恨なれ。さらば山王の御輿を振り奉らん」と申しければ、神には御料を参らせ給ひければ、衆徒この上はとて鎮まりけり。この事鬼若に聞かすなとて隠し置きたりしを、如何なる痴の者か知らせけん、「これは遺恨なり」とて、いとど散々に振る舞ひける。僧正もて扱ひて、「あらばあると見よ。なくはなしと見よ」とて、目も見せ給はざりけり。
衆徒([僧])たちは僉議([話し合い])して、たとえ桜本僧正の児([小坊主])であろうと、山(比叡山)の一大事であると、大衆([僧])たち三百人が院(後白河院)の御所に参って訴え申したので、「それほどの僻事([道理にはずれたこと])の者ならば急ぎ山から追い出してしまえ」と院宣がありました、大衆はよろこんで、山へ帰りましたが公卿僉議があって、古い日記([記録])を見れば、「六十一年目に山上(比叡山)に不思議の者が出て来て、朝家([朝廷])が祈祷することになるであろう。もし院宣にてこれを鎮めれば、一日のうちに天下無双の願所([御願寺]=[天皇・皇后・親王などの発願によって建てられた寺])を五十四箇所建てなくてはならなくなると書いてある。今年がその六十一年目に当たるのだ。ただ放って置け」と申しました。衆徒が怒って申すには、「鬼若一人と三千人の衆徒を引き換えにするのはとんでもないことだ。ならば山王([山王権現]=[日吉神社の祭神])の御輿を都に振り下ろすぞ」と申したので、神(山王権現)に御料([寺社の供物])を献上しました、衆徒たちはこれ以上はと鎮まりました。この事を鬼若には聞かせるなと隠していましたが、いったいどれほどの愚か者が知らせたのか、鬼若は「いったいどういうことだ」と言って、さらに乱暴の限りを尽くしました。桜本僧正は鬼若をなだめて、「もしそれが事実ならば反省しなさい。もし事実無根ならば気にすることはない」と申して、鬼若と顔も合わせませんでした。
(続く)