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「平治物語」光頼卿参内の事並びに許由が事付けたり清盛六波羅上着の事(その4)

光頼みつより卿かやうに振る舞ひ給へども、急ぎても出でられず。殿上の小蔀こじとみの前、見参の板高らかに踏み鳴らして立たれたりけるが、荒海あらうみの障子の北、萩の戸のほとりに、弟の別当惟方これかたのおはしけるを、招きつつのたまひけるは、「公卿詮議とて、もよほされつる間、参じたれども、承り定めたる事もなし。誠やらん、光頼も死罪に行はるべき人数にてあんなる。伝へ受け給はる如きは、その人皆当時の有職いうそく、しかるべき人どもなり。その内に入らん事、はなはだ面目なるべし。さても先日右衛門督が車のしりに乗つて、少納言入道が首実検のために、神楽岡へ向かはれける事はいかに。以外しかるべからざる振る舞ひかな。近衛大将・検非違使別当は、他にことなる重職なり。その職にながら、人の車の後に乗り給ふ事、先規もいまだ聞き及ばず、当時も大きに恥辱なり。なかんづく首実検ははなはだ穏便ならず」とのたまへば、別当、「それは天気にて候ひしかば」とて、赤面せられけり。




光頼卿(藤原光頼)はこのように振る舞いましたが、急いで内裏を出ることはありませんでした。殿上の小蔀([天皇が殿上の間を見た小窓])の前の、見参の板([清涼殿の孫庇まごびさしの南端にあった床板])を大きな音を立てて踏み鳴らしながら立っていましたが、荒海の障子([清涼殿の東の広庇ひろびさしの北にあった絹張りの衝立障子])の北、萩の戸([清涼殿の一室])のそばに、弟の別当惟方(藤原惟方)がいたので、呼びつつ言うには、「公卿詮議が、行われるというので、参内したのだが、評議はなかった。本当かどうかは知らないが、わたしも死罪に処せられる人数に入っているそうだ。死罪に処せられると伝え聞いたのは、皆今の有職([教養・才知・家柄・容貌などのすぐれている者])で、その中に入るのは、たいそう名誉なことである。それはさておき先日右衛門督(藤原信頼のぶより)の車の後ろに乗って、少納言入道(信西しんぜい)の首実検([面識者に首の主を確かめさること])のために、神楽岡(今の京都市左京区にある吉田山)に向かったのはどういうことだ。職務外の振る舞いではないか。近衛大将・検非違使別当は、特別で責任が重い職であるぞ。その職にありながら、人の車に乗るというのは、先例に聞いたことがなく、今も大きな恥である。その上首実検を行うというのは尋常ではないことだ」と言ったので、惟方は、「二条天皇の御意向でした」と答えて、赤面しました。


続く


by santalab | 2013-12-07 08:16 | 平治物語

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