同じき二十三日、また大内の兵ども、六波羅より寄するとて騒ぎけれども、その義もなし。惣じて去んぬる十日より、日々夜々に、六波羅には内裏より寄するとて、ひしめき、大内には六波羅より寄するとて兵ども右往左往に馳せ違ひ、源平両家の軍兵ら、京白河に往還す。年はすでに暮れなんとすれども、歳末年始の営みにも及ばず、ただ合戦の評定ばかりなり。
同じ二十三日、大内([内裏])の兵たちは、六波羅より平家が攻めてくると騒ぎましたが、何もありませんでした。およそ去る十日より、日毎夜毎に、六波羅では内裏より源氏が攻めてくるといって、ひしめき、内裏では六波羅より平家が攻めるといって兵たちが右往左往動き回って、源平両家の軍兵たちは、京白河([京都市北東部を流れる白川流域])を行ったり来たりしていました(京白河は内裏と六波羅の中間あたり)。年はすでに暮れようとしていましたが、歳末年始の準備をすることもなく、源平ともにただ合戦のことばかり話し合っていました。
(続く)