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「平治物語」院の御所仁和寺に御幸の事(その3)

はかばかしく仰せ合はらるべき人もなきままに、御心中に様々の御願をぞ立てさせ給ひける。世しづまつて後、日吉社へ御幸なりたりしも、その時の御立願とぞ聞こえし。とかくして仁和寺に着かせ給ふ。この由仰せられしかば、御室大きに御喜び合つて、御座おざしつらひ入り参らせて、供御くご御勧めなど、甲斐甲斐かひがひしくもてなし参らせ給ひける。保元ほうげんに崇徳院の入らせ給ひしをば、寛遍かんぺん法務が坊に移し参らせて、さまでの御心ざしもなかりき。崇徳院は鳥羽第一の御子、この上皇は第四、御室は第五の宮にておはしませば、いづれも同じじ御兄の御事なれども、さばかりいつき申させ給ひ、わづかの御つつがも渡らせ給はぬ御運のほどこそめでたけれと、人皆申しけるとかや。




後白河院は、相談する者もいないまま、心中にさまざまの願を立てました。世が鎮まった後に、日吉社(日吉大社。今の滋賀県大津市坂本にある)へ出かけたのも、その時の立願のためだと言われました。ともかくも後白河院は仁和寺に着きました。このことを知らせると、御室(仁和寺のことですが、ここでは仁和寺の検校けんげう、つまり最高責任者であった覚性かくしよう入道親王のことでしょう)はとても喜んで、座敷を用意して、食事を勧めるなど、かいがいしくもてなしました。保元に崇徳院が居られた、寛遍法務の宿坊に移されましたが、これほどの厚意はありませんでした。崇徳院は鳥羽院の第一皇子で、後白河院は第四皇子、覚性入道親王は第五皇子(本仁もとひと親王)でしたので、皆同じ兄弟同士でしたが、このように同じく仁和寺に集まり、わずかの災難にも遭わなかったことは幸運なことだと、人は皆申しました。


続く


by santalab | 2013-12-09 12:02 | 平治物語

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