義村打ち頷き、「御使ひ下るなるはいづくにぞ。片瀬川より先に立ちて候ひつれば、今は鎌倉にぞ入り候はん」と申す。「返事をせんと思へども、今は鎌倉より関々も固めらるらん。義村が状とて披見せられんこと難儀治定なり。申されたることはさ心得たりと申すべし」とて、使者を急ぎ返し上せ、時を移さず、使ひ門を出でければ、義村勅命にも従はず、胤義が語らひにも付かず案じ澄まして、文を持て権大夫殿の許に行き向かふ。
義村(三浦義村)はうなづいて、「使いが下って来ると書いてあるがどこにいる。片瀬川(現神奈川県東部を北から南へ流下し、武蔵・相模両国の国境をなしていた境川の下流)を先に立ったと聞いたが、今は鎌倉に入ったのではないか」と申しました。義村は「宣旨を下さなくてはとは思うが、今は鎌倉より西は関々も固められているかもしれん。わたし義村の状と知られてはやっかいなことこの上ない。申されたことは分かったと伝えてくれ」と申して、使者を急ぎ京に返すと、すぐさまに、使いは門を出て行ったので、義村は勅命に従わず、胤義(三浦胤義)の考えにも同意せず心を決めて、文を持って権大夫殿(北条義時)の許に向かいました。
(続く)