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「平治物語」悪源太誅せらるる事(その2)

景澄かげずみ常にしたためしけるに、下人と一所にありて、敢へて人に見せざりしかば、家主心許なくや思ひけん、何となく障子の隙より見ゐれば、景澄が膳をば下人に据へ、下人の飯をば景澄ゐしかば、「あはれ、この人は源氏の郎等と聞こえしが、疑ひなき悪源太とやらんを隠しいて、六波羅を窺ひ申しにこそ。余所より聞こえてはしかりなむ」とて、急ぎ平家にこの由告げたりしかば、取る物も取り敢へず、十八日の酉刻ばかりに、難波次郎経遠つねとほ、三百余騎にてし寄せ、四方を取り巻きて、「鎌倉悪源太のおはしますか。六波羅より難波次郎経遠が御迎へに参り候ふ」と呼ばはりければ、御曹司、袴のそば高く挟み、石切を抜くままに、「源義平ここにあり。寄れや、手柄のほど見せむ。」とて走り出で、その前に進みたる兵四五人斬り伏せて、小屋の軒に手うちかけ、ひらりと上りて、家続きにいづくともなく失せ給へるが、石山の辺りにおはしけるなり。




景澄(志内景澄)が食事をする時は、いつも召し使いと一緒で、人に見せようとしなかったので、家主は不審に思って、偶然障子の隙間から見ると、景澄の膳を召し使いに据え、召し使いの飯を景澄が食べていたので、家主は、「ああ、景澄は源氏の家来と言っていたが、間違いなく悪源太(源義平よしひら義朝よしともの長男)という者を隠して、六波羅の様子を窺っているのに違いない。他の者からこれが漏れては具合が悪い」と言って、急いで平家にこのことを知らせたので、取る物も取りあえず、十八日の酉刻頃(午後六時頃)に、難波次郎経遠(難波経遠)は、三百騎余りで押し寄せ、四方を取り巻いて、「鎌倉悪源太(義平)はおられるか。六波羅より難波次郎経遠が迎えに来た」と呼びました、御曹司(義平)は、袴の裾を高く挟み上げて、石切の刀を抜いて、「源義平はここにいるぞ。近寄れ、腕前を見せてやる」と走り出ると、義平の前に進み出た兵四五人を斬り伏せて、小屋の軒に手をかけて、ひらりと上って、家続きにどこへともなく逃げてしまいましたが、石山(今の滋賀県大津市)のあたりに隠れていました。


続く


by santalab | 2013-12-16 09:51 | 平治物語

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