常盤先づ御所へ参つて申しけるは、「女の心のはかなさは、もし片時も身に添へて見ると、この幼き者ども引き具し、片田舎に立ち忍びて侍ひつるが、わらは故行く末も知らぬ老ひたる母の、六波羅へ召されて憂き目に遭ひ給ふと、受け給はれば、余りに悲しくて、恥をも忘れて参りたり。早や早や幼き者ともろともに、六波羅へ遣はさせおはしまして、母の苦しみを止めて給り候へ」と申せば、女院を始め参らせて、ありとある人々、「世の常は、老ひたる母をば失ふとも、後世をこそ弔はめ。幼き子どもをばいかが殺さんと思ふべきに、子どもをば失ふとも、母を助けんと思ふらむありがたさよ。仏神も定めて憐れみ思し召すらん。年来この御所へ参るとは、皆人知れり」とて、尋常に出で立たせて、親子四人清げなる車にて、六波羅へぞ遣はされける。
常盤御前はまっ先に御所に参って申すには、「女の心の弱さゆえ、片時もそばに置いておこうと、幼い子どもたちを連れて、片田舎に忍んでいましたが、わたしのことでわたしたちの居場所も知らない老いた母が、六波羅に呼ばれて辛い目に遭っていると、聞いたので、あまりにも悲しくて、恥も忘れてやって参りました。すぐに幼い子どもたちと一緒に、六波羅に参って、母の苦しみを救いたいと思います」と言ったので、女院(美福門院=藤原得子でしょうか)も参って、その場の者たちすべてが、「世の常は、老いた母を失えば、後世([来世の安楽])を弔うものです。幼い子どもだけはなんとしてでも助けようと思うのに、子どもを失ってでも、母を助けようと思うことはめったにありません。仏神も必ずや慈悲をかけてくださいます。この御所に参ったことは、皆知っています」といって、急ぎ立たせて、親子四人をきれいな車に乗せ、六波羅まで送りました。
(続く)