第八十一代、安徳天皇。諱は言仁、高倉第一の子。御母中宮平の徳子〈建礼門院と申す〉、太政大臣清盛の娘なり。庚子の年即位、辛丑に改元。法皇なほ世を治らせ給ふ。平氏はいよいよ奢りをなし、諸国はすでに乱れぬ。都をさへ遷すべしとて摂津の国福原とて清盛住む所のありしに行幸せさせ申しける。法皇・上皇も同じく移し奉る。人の恨み多く聞こえけれにや還し奉る。
第八十一代天皇は安徳天皇です。諱を言仁と申し、高倉院(第八十代天皇)の第一皇子でした。母は高倉院中宮平徳子〈建礼門院と申されます〉、太政大臣平清盛の娘でした。庚子の年(治承四年(1180))即位、辛丑に改元がありました(養和元年(1181))。後白河法皇(第七十七代天皇)がなお世を治められました。平家はますます権威を振るい、諸国は乱れました。都を遷すべきと摂津国の福原(現兵庫県神戸市兵庫区)に清盛が住む所がありましたので、安徳天皇をそこに移されました。後白河法皇・高倉上皇も移されました。人の不満が多く聞こえたのか還都しました。
(続く)