その後入相ほどに、義時の宿所に会合して、宣旨の御返事・合戦の次第評定あり。駿河の守義村申しけるは、「足柄・箱根を打ち塞ぎ支へむとぞ申しける。権大夫殿、この議悪しかりなむ。さらば日本国三分の二は京方になりなんず。ただ明日やがて馳せ上り、敵の遭はん所を限りにて、勝負を決すべし」とありければ、この御計らひ左右に及ばずとて、一味同心に打ち立ちけり。
その後入相([夕方])頃に、義時(北条義時)の宿所に集まって、宣旨の返事・合戦の次第について評定([皆で相談して決めること])がありました。駿河守義村(三浦義村)が申すには、「足柄([足柄関]=[現神奈川・静岡県境にある足柄峠東麓にあった関所])・箱根([箱根関]=[現神奈川県足柄下郡箱根町と静岡県三島市との境にある箱根峠にあった関所])を塞ぎ敵を防ごうと申しました。権大夫殿(北条義時)は、それはよろしくない。そんなことをすれば日本国の三分の二は京方になってしまう。明日すぐに馳せ上り、敵と遭遇した所で、勝負をすべきだ」と申したので、これ以上話すべきことなしと、皆心一つにして解散しました。
(続く)