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「義経記」伊勢三郎義経の臣下にはじめて成る事(その12)

商人あきんどの習ひにて、ここかしこにて日を送りけるほどに、九日先に発ちまゐらせたるが、今追ひ着き給ひける。吉次きちじ御曹司おんざうしを見付けまゐらせて、世にうれしくぞ思ひける。御曹司も御覧じて、うれしくぞ思し召す。「みささぎが事は如何に」とまうしければ、「頼まれずさうらあひだ、家に火をかけて散々に焼き払ひ、これまで来たるなり」とおほせられければ、吉次今の心地して、恐ろしくぞ思ひける。「御供の人は如何なる人ぞ」とまうせば、「上野かうづけの足柄の者ぞ」と仰せられける。「今は御供るまじ。君御着き候ひて後、たづねて下り給へ。後に妻女さいぢよの嘆き給ふべきも痛はしくこそ候へ。自然の事候はん時こそ御伴候はめ」とてやうやうに止めければ、伊勢の三郎をば上野へぞかへされける。それよりして治承ぢしよう四年しねんを待たれけるこそ久しけれ。




商人の習性で、吉次はあちらこちらで日を送っていたので、義経の九日前に室の八島(現栃木県栃木市にある大神おおみわ神社)を立っていましたが、義経は吉次に追い付きました。吉次は御曹司(源義経)を見付けてとてもうれしく思いました。御曹司もまた吉次を見てうれしく思いました。吉次が「陵(堀頼重よりしげ。源光重みつしげの三男)の件はどうなりましたか」と訊ねると、義経は「頼りにならないと思ったので、家に火をかけて散々に焼き払い、これまでやって来たのだ」と申したので、吉次はたった今のことのような気がして、恐ろしくなりました。吉次が「お供の人は誰でしょうか」と訊ねると、義経は「上野の足柄(現群馬県南足柄市)の者だ」と申しました。吉次は供(伊勢義盛よしもり)に「今はお供は必要ない。君(義経)が奥州に着いた後に、訪ねて参れ。それからお主の妻女が悲しむのもかわいそうだ。事が起こればお伴すればよかろう」と様々に言い宥めたので、義経も伊勢三郎(義盛)を上野国に返しました。伊勢義盛は治承四年(1181)まで長く上野国で待つことになりました。


続く


by santalab | 2013-12-23 13:12 | 義経記

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