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「義経記」頼朝義経対面の事(その2)

弥太郎やたらう一町ばかり馬を引かせけり。かくてすけ殿の御前にまゐり、この由をまうしければ、佐殿は善悪に騒がぬ人にておはしけるが、今度は殊の外に嬉しげにて、「さらばこれへおはしましさうらへ。見参げんざんせん」とのたまへば、弥太郎やがて参り、御曹司おんざうしにこの由をまうす。御曹司もおほきに悦び、急ぎ参り給ふ。佐藤三郎、同じき四郎、伊勢の三郎これら三騎さんぎ召し連れて参らるる。佐殿御陣ごぢんと申すは、大幕おほまく百八十ちやう引きたりければ、その内は八箇国の大名だいみやう小名せうみやう並みたり。各々敷皮しきがはにてぞありける。佐殿御座敷には畳一畳いちでふ敷きたれども、佐殿も敷皮にぞおはしける。御曹司は兜を脱ぎて童に着せ、弓取りなほして、幕のきはに畏まつてぞおはしける。その時佐殿敷皮を去り、我が身は畳にぞなほられける。「それへそれへ」とぞおほせらるる。御曹司しばらく辞退して敷皮にぞ直られける。佐殿御曹司をつくづくと御覧じて先づ涙にぞ咽ばれける。御曹司もその色は知らねども、共に涙に咽び給ふ。




弥太郎(堀景光かげみつ)は一町(約100m)ばかり馬を下げました。こうして佐殿(源頼朝)の御前に参り、これを伝えると、佐殿(頼朝)は善悪([よいことと悪いこと])に騒がない者でしたが、この度は特別にうれしそうにして、「ならばここへ連れて参れ。見参らすぞ」と申したので、弥太郎はすぐに義経の許に参り、御曹司(源義経)にこれを申しました。御曹司(義経)もたいそうよろこんで、急ぎ頼朝の許に参りました。義経は佐藤三郎(佐藤継信つぎのぶ)、同じく四郎(佐藤忠信ただのぶ)、伊勢三郎(伊勢義盛よしもり)これら三騎を引き連れて参りました。佐殿(頼朝)の陣には、大幕([仮屋や陣営、また船の舷側げんそくをおおうための幕])を百八十町(540,000坪)引いて、その中には坂東八箇国の大名小名が揃っていました。大名小名たちは敷皮([毛皮の敷物])を敷いていました。佐殿(頼朝)の座敷には畳を一畳敷いていましたが、その上に敷皮を敷いていました。御曹司(義経)は兜を縫いで童にかぶせ、弓を取り直して、大幕の際に畏まっていました。その時佐殿(頼朝)は敷いていた敷皮を取り、自身は畳に座りました。「それに腰を掛けよ」と申しました。御曹司はしばらく辞退してから敷皮に座りました。佐殿(頼朝)は御曹司(義経)をじっと見てまず涙に咽びました。御曹司も涙の色はわかりませんでしたが、ともに涙に咽びました。


続く


by santalab | 2013-12-26 20:43 | 義経記

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