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「義経記」頼朝義経対面の事(その3)

たがひに心の行くほど泣きて後、すけ殿涙をおさへて、「さても頭殿かうのとのに後れ奉りて、その後は御行方おんゆくへうけたまはさうらはず。幼少えうせうにおはし候ふ時、見奉りしばかりなり。頼朝池の尼のなだめられしによりて、伊豆の配所にて伊東、北条ほうでうに守護せられ、心に任せぬ身にて候ひしほどに奥州あうしう御下向ごげかうの由はかすかにうけたまはつて候ひしかども、音信おとづれだにもまうさず候ふ。兄弟きやうだいありと思し召し忘れ候はで、取り敢へず御上り候ふ事、まうし尽くし難く悦び入り候ふ。これ御覧候へ。かかる大功をこそ思ひくはだてて候へ、八箇国の人々を始めとして候へども、皆他人なれば身の一大事を申し合はする人もなし。皆平家にあひ従ひたる人々なれば、頼朝が弱げをまぼり給ふらんと思へば、夜も夜もすがら平家の事のみ思ひ、またある時は、平家の討つ手上せばやと思へども、身は一人なり。頼朝自身進み候へば、東国覚束なし。代官だいくわん上せんとすれば、心安き兄弟もなし。他人を上せんとすれば、平家と一つになりて、かへつて東国をや攻めんと存ずるあひだ、それも叶ひ難し。




互いに心行くまで泣いた後、佐殿(源頼朝)は涙を抑えて、「それにしても頭殿(源義朝よしとも。頼朝・義経の父)に先立たれて、その後はお主の行方も知らなかったのだ。お主が幼少の頃、見たのが限りぞ。わたし頼朝は池の尼(池禅尼。清盛の父平忠盛ただもりの正室)がとりなしてくれたお陰で、伊豆の配所で伊藤(伊東祐清すけきよ)、北条(北条時政ときまさ。北条政子の父)に守護されて、思うようにならない身の上でありお主が奥州に下ったことはかすかに聞いていたものの音信さえ申さずにいたのだ。兄弟がいることを忘れずに、急ぎ上り参った事、言い尽くし難いほどよろこんでいる。見よ。これほどの大功([大きな手柄・功績])を思い立ち、八箇国の者たちを集めたが、皆他人であれば我が身の一大事を相談する者もいない。皆平家に従った者たちであれば、わたし頼朝は弱みを見せまいとして、夜通し平家を亡ぼすことだけを考え、またある時には、平家の討つ手を上らせようと思ったが、我が身は一つだけぞ。わたし頼朝自身が出兵すれば、関東が不安だ。代官を上らせようにも、安心して任せられる兄弟もなし。他人を上らせれば、平家に同心して、東国を攻めかねないと思えば、それもできないことであった。


続く


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by santalab | 2013-12-26 20:50 | 義経記

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