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「義経記」義経平家の討手に上り給ふ事(その4)

召し合はせんとおほせられ、言ふ時に梶原かぢはら甘縄あまなふの宿所にかへりて、いつはまうさぬ由起請きしやうを書きてまゐらせければ、このうへはとて大臣殿おほいどのをば腰越こしごえより鎌倉に受け取り、判官はうぐわんをば腰越にとどめらるる。判官「先祖のはぢを清め、亡魂ぼうこんいきどほりを休め奉る事は本意なれども、随分二位にゐ殿の気色にあひ適ひ奉らんとてこそ身を砕きては振舞ひしか、恩賞おんしやうに行はれんずるかと思ひつるに、向顔こうがんをだにも遂げられざる上は日頃の忠もえきなし。あはれ、これは梶原讒言ざんげんごさんなれ。西国にて斬りて捨つべき奴を、哀憐あいれんを垂れ助け置きて、敵となしぬるよ」と後悔こうくわいし給へども、甲斐かひぞ無き。鎌倉には二位殿、河越かはごえの太郎を召して、「九郎がゐんの気色良きままに、世を乱さんと内々たくむなり。西国のさぶらひども付かぬ先に、腰越こしごえに馳せ向かひさうらへ」とおほせられければ、河越まうされけるは、「何事にても候へ、君の御諚ごぢやうを背き申すべきにては候はず候へども、かつうは知ろし召して候ふやうに女にて候ふ者を判官殿の召し置かれて候ふあひだ、身に取りては痛はしく候ふ。他人に仰せ付けられ候へ」と申し捨ててぞ立たれける。




頼朝に義経に会うようにと命じられて、梶原(景時かげとき)は甘縄(神奈川県鎌倉市長谷)の宿所に帰って、偽りを申さぬ旨の起請文([神仏への誓いを記した文書])を書いて頼朝に届けました、頼朝はこれを受け取ると大臣殿(平清盛の三男宗盛むねもり)を鎌倉に受け取り、判官(源義経)は腰越(神奈川県鎌倉市)に留めました。判官(義経)は「先祖の恥を清め、亡魂の憤りを鎮めることが本意であるが、二位殿(源頼朝。この時従二位)の恩に報いるためにたいそう悩んだあげく大臣殿(平宗盛むねもり。清盛の三男)を鎌倉まで送ってきたのだ、恩賞([褒美])を賜るのではないかと思っていたのに、向顔([対面])も叶わぬとは今までの忠義は何だったのか。ああ、これは梶原(景時かげとき)が讒言([事実を曲げたり、ありもしない事柄を作り上げたりして、その人のことを目上の人に悪く言うこと])を申したに違いない。西国で切り捨てるべき奴を、かわいそうに思って助け置いたために、今は敵となってしまった」と言って後悔しましたが、仕方のないことでした。鎌倉には二位殿(頼朝)が、河越太郎(河越重頼しげより)を呼んで、「九郎(義経)が院(後白河院)に気に入られて、世を乱そうと内々企んでいるそうだ。西国の侍たちが義経に味方しない前に、腰越に急ぎ向かい討ち取れ」と命じました、河越(重頼)は、「どのような事であろうと、君(頼朝)の御諚([主君の命令])に背くものではございませんが、ご存知と思われますが我が娘(さと御前)は判官殿(義経)の妻ですので、我が身にとってもつらいことでございます。どうか他人に命じられますよう」と言い捨てて席を立ちました。


続く


by santalab | 2013-12-26 22:07 | 義経記

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