院聞こし召され、「この両条に過ぐべからず。ただし今は敵近江の国に入りぬらん。討手を差し向くとも、幾程の国を従へん。宇治・勢多を固めて、都にての合戦も心忙し。只々敵の遭はん所まで発向すべき由」仰せ下さる。胤義、「この御計ひしかるべし」とぞ申しける。重忠ばかりは領掌申さず呟きける。
後鳥羽院はこれを聞いて、「たしかによい考えぞ。けれども敵はすでに近江国に入ろうとしておる。討手を差し向けたところで、どれほどの国を従えることができよう。宇治橋・瀬田橋を固めて、都での合戦を回避すべきである。今は敵と遭う所まで進め」と命じました。胤義(三浦胤義)は、「承知いたしました」と申し上げました。重忠(山田重忠)だけは納得できなくて愚痴をこぼしました。
(続く)