弁慶これを聞きて、「御辺より外は、この殿の御内に弓矢取る者はなきか」とぞ申しける。佐藤四郎兵衛これを聞きて、御前に畏まつて申しけるは、「かかる事こそ御座候へ。この人どもが先駆け論ずる間に、敵は近付きぬ。あはれ、仰せを蒙りて、忠信先を仕り候はばや」と申しければ、判官、「いしう申したる者かな。望めかしと思ひつるところに」とて、やがて忠信に先駆けを賜はつて、三滋目結の直垂に、萌黄威の鎧に、三枚兜の緒を締め、厳物作りの太刀帯き、鷹護田鳥尾の矢二十四差したるを頭高に負ひなして、上矢に大の鏑二つ差したりける、節巻の弓持ちて、舳に打ち渡りて出で合ひたり。
弁慶はこれを聞いて、「お主の他に、殿(源義経)の身内に弓矢取り([武士])はいないような口ぶりではないか」と言いました。佐藤四郎兵衛(忠信がこれを聞いて、義経の御前に畏まり申すには、「そのようなことを言い合っている場合ではございません。この者たちが先陣を争っている間にも、敵は近付いております。先陣ならば、わたしに命じていただき、わたし忠信が先陣に参りましょうぞ」と言うと、判官(義経)は、「よくぞ申した。わたしもお主に頼もうと思っておったのだ」と申して、すぐに忠信に先陣の命を下しました、忠信は三滋目結([多くの三目結を一面に散らした文様])の直垂([鎧の下に着る着物])に、萌黄威([青黄色])の鎧を着て、三枚兜([錏=兜の鉢から垂らし、首から襟を防御するもの。が三枚の板からなる兜])の緒を締め、厳物作りの太刀([外装をいかめしくこしらえた太刀])を身に付け、鷹護田鳥尾([斑の部分が多い羽])の矢を二十四本差した箙([矢を入れる道具 ])を頭高([矢が肩越しに高く見えるように箙を負うこと])に背負い、上矢([鏑矢])には大きな鏑矢([射ると大きな音響を発して飛ぶ狩猟用の野矢])を二本差し、節巻の弓([竹の節の部分を、裂けないように籐などで巻いた弓])を持って、舳に出て敵を待ち構えました。
(続く)