上野の判官これを見て、「さな言はせそ」とて、押し違へて、箙の中指し取つて、よつ引いてひやうど射る。忠信が矢差し矧げて立ちたる弓手の兜の鉢を射削りて、鏑は海へ入る。忠信これを見て、「地体この国の住人は敵射る様をば知らざりける。奴に手並みのほどを見せん」とて、尖矢を差し矧げて、小引きに引きて待つ。敵一の矢射損じて、念もなげに思ひなして、二の矢を取つて番ひ、打ち上ぐるところを、よつ引きてひやうど射る。弓手の脇の下より馬手の脇に五寸許り射出だす。すなはち海へたぶと入る。忠信次の矢をば矧げながら御前に参りける。不覚とも高名とも沙汰の限りとて、一の筆にぞ付けられける。豊島の冠者と上野の判官討たれければ、郎等ども矢比より遠く漕ぎ退けたり。片岡、「如何に四郎兵衛殿、軍は何とし給ひたり」と言へば、「手の上手が仕りて候ふ」と申しければ、「退き給へ。さらば経春も矢一つ射て見ん」と言ひければ、さらばとて退きにけり。
上野判官はこれを見て、「その口を黙らせてやるわ」と言って、佐藤忠信とは異なり、押し違へて、箙([矢を入れる容器])から中指し([征矢]=[戦闘用の矢])取つて、弓を十分引いて矢射ました。忠信は矢を番えて立っていましたが弓手([左])の兜の鉢をかすめて、矢は海へ落ちました。忠信はこれを見て、「そもそもこの国の住人は敵を射る方法を知らないのか。奴にわたしの手並みのほどを見せてやる」と言って、尖矢([先が鋭く尖った鏃])を弓に番えると、弓を少し引いて待ち構えました。敵(上野判官)は一の矢射損じて、しまったと思い、二の矢を取つて弓に番え、弓を引くところを、忠信が十分弓を引いて矢を射ました。矢は上野判官の弓手([左])の脇の下より馬手([右])の脇にかけて五寸(約15cm)ばかり抜き抜けました。上野判官はたちまち海へどぼんと落ちました。忠信は次の矢を番いながら義経の御前に参りました。不覚とも高名とも沙汰次第でしたが、一の筆([筆頭者])として記されました。豊島冠者と上野判官が討たれたので、郎等([家来])たちは矢比([矢を射当てるのに適当な距離])の遠くまで漕ぎ退きました。片岡(片岡常春)は、「どうだ四郎兵衛殿(佐藤忠信)、軍をどう思うや」と言うと、「手の上手が勝つものです」と申したので、片岡(常春)「そこ退いてくれ。そういうことならばわたし経春も矢の一つ射てやるぞ」と言ったので、忠信はならばとそこを退きました。
(続く)