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「義経記」住吉大物二箇所合戦の事(その6)

片岡かたをか船枻せがいうへに片膝突いて、差し詰め引き詰め、散々にこそ射たりけれ。船腹ふなばらいちゐの木割りを十四五射立てて置きたりければ、水一はた入る。周章あはて狼狽ふためきて、踏みかへし、目のまへにて杉舟三艘さんざうまで失せにけり。豊島てしま冠者くわんじや亡せにければ、大物だいもつの浦に船を漕ぎ寄せて、空しき体をきて、泣く泣く宿所へぞかへりける。武蔵坊むさしばう常陸坊ひたちばうを呼びてまうしけるは、「安からぬ事かな。いくさすべかりつるものを。かくて日を暮さん事は宝の山に入りて、手を空しくしたるにてこそあれ」と後悔こうくわいするところに、小溝こみぞの太郎は大物にありと聞きて、百騎の勢にて大物の浦に馳せ下りて、くがに上げたりける船を五さう押し下ろし、百騎を五手に分けて、我先にと押し出だす。これを見て、弁慶は黒革威くろかはをどし海尊かいぞん黒糸威くろいとをどしよろひ着たり。常陸坊は本より究竟くつきやう楫取かんどりなりければ、小舟せうせんに取り乗り、武蔵坊はわざと弓矢をば持たざりけり。四尺ししやく二寸ありける柄装束つかしやうぞくの太刀いて、岩透いはとをしと言ふ刀を差し、の目彫りたるまさかり薙鎌ないかま、熊手舟にからりひしりと取り入れて、身を放さず持ちける物は、いちゐの木のばう一丈いちぢやう二尺ありけるに、くろがね伏せてうへ蛭巻ひるまきしたるに、石突きしたるを脇に挟みて、小舟のへさきに飛び乗る。




片岡(片岡常春つねはる)は船枻([和船の両側のげんに渡した板。櫓を漕いだり棹をさしたりするところ])に片膝突いて、ひっきりなしに、散々に矢を射ました。敵の船腹に櫟の木割りの矢を十四五本射立てたので、舟にあっという間に水が入り込みました。敵はあわて騒いで、舟を踏み返かへし、目の前で杉舟三艘が沈みました。豊島冠者が亡くなったので、大物浦に舟を漕ぎ寄せて、むなしい体を担いで、泣く泣く宿所へ帰っていきました。武蔵坊(弁慶)は常陸坊(海尊かいぞん)を呼んで申すには、「穏やかならぬことだ。戦すべきところぞ。こうして日を暮すことは宝の山に入って、何も手にできないようなものではないか」と後悔していましたが、小溝太郎は大物(現兵庫県尼崎市)に義経がいると聞いて、百騎の勢で大物浦に馳せ下り、陸に上げた船を五艘押し下ろして、百騎を五手に分けて、我先にと押し出しました。これを見て、弁慶は黒革威、海尊は黒糸威の鎧を身に付けました。常陸坊は元々究竟([熟練])の楫取でしたので、小舟に取り乗り、武蔵坊は弓矢を持たずに乗り込みました。四尺二寸(約126cm)ある柄に飾りのある太刀を帯いて、岩透と言う刀を腰に差し、猪の目([柄に彫ったハート形の飾り])を彫った鉞、薙鎌([長柄を付けた鎌])、熊手を舟にいくつも乗せて、身から放さず持つ物は、イチイの木の棒で一丈二尺(約3m60cm)あるものに、鉄を延べて上に蛭巻([太刀の柄・さやや槍・薙刀なぎなたなどの柄に 、金属の細長い薄板を間をあけた螺旋状に巻いてあるもの])したものに、石突き([矛・ 薙刀・槍などの柄の、地に突き立てる部分を包んでいる金具])を付けたものを脇に挟んで、小舟の舳([船先])に飛び乗りました。


続く


by santalab | 2013-12-31 15:30 | 義経記

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