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「平家物語」大臣殿被斬(その3)

檻井かんせいの内にある時は、すなはちを振つてじきを求むとて、剛き虎の深山にある時は、ももけだもの怖ぢ恐ると言へども、捕つておりの中に籠められて後は、尾を振つて人に向かふらんやうに、いかに剛き大将軍たいしやうぐんも、運尽きかくなつて後は、心変はる習ひなれば、この大臣殿も、さこそおはすにや」と、まうす人々もありけるとかや。判官やうやうに陳じ申されけれども、景時かげとき讒言ざんげんうへは、鎌倉殿さらに用ひ給はず。大臣殿父子具し奉て、急ぎ上り給ふべき由のたまふあひだ、六ぐわつ九日の日、また大臣殿父子受け取り奉て、都へかへり上られけり。大臣殿は、かやうに一日も日数ひかずの延ぶることを、うれしきことに思しけるこそいとほしけれ。道すがらも、「ここにてやここにてや」と思はれけれども、国々宿々しゆくじゆくうち過ぎうち過ぎとほりぬ。




檻の中にいる時は、尾を振って食べ物を探すと言って、強い虎が深山にいる時は、すべての獣は怖じ恐れると言うが、虎を捕まえて檻の中に閉じ込めると、尾を振って人に対するように、どんなに強い大将軍でも、運が尽きてしまった後は、心も変わるのが習いであれば、この大臣殿(平宗盛むねもり。清盛の三男)も、同じであろう」と、言う者もあったとか。判官(源義経。頼朝の弟)は何度も陳情しましたが、景時(梶原景時)が悪意をもってこれをを伝えたので、鎌倉殿(源頼朝)は聞く耳を持ちませんでした。清盛が大臣殿父子(平宗盛と嫡男清宗きよむね)を連れて、急いで都に上ることを頼朝に頼んだので、六月九日に、また宗盛父子を受け取って、都に帰って行きました。宗盛が、こうして一日命の日数が延びたことを、うれしいと思うことこそ嘆かわしいことでした。道すがらも、「ここで討たれるのではないか」と思っていましたが、国々宿々を次々過ぎて通って行きました。


続く


by santalab | 2014-01-04 08:24 | 平家物語

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