かくて法眼が内に幸寿前とて女あり。次の者ながら情けある者にて、常は訪ひ奉りけり。自然知る人になるまま、御曹司物語の序でに、「そもそも法眼は何と言ふ」と仰せられければ、「何とも仰せ候はぬ」と申す。「さりながらも」と問はせ給へば、「過ぎし頃は『あらばあると見よ。なくばなきと見て、人々物な言ひそ』とこそ仰せ候ふ」と申しければ、「義経に心許しもせざりけるごさんなれ。まことは法眼に子は幾人ある」と問ひ給へば、「男子二人女子三人」「男二人家にあるか」「はやと申す所に、印地の大将して御入り候ふ」「また三人の女子はいづくにあるぞ」「所々に幸ひて、皆上臈婿を取りて渡らせ給ひ候ふ」と申せば、「婿は誰そ」「嫡女は平宰相信業卿の方、一人は鳥養中将に幸ひ給へる」と申せば、「何条法眼が身として上臈婿取る事過分なり。法眼世に超えて、痴れ事をするなれば、人々に面打たれん時、方人して家の恥をも清めんとは、よも思はじ。それよりも我々斯様にあるほどに婿に取りたらば、舅の恥を雪がんものを。舅に言へ」と仰せられければ、
義経はこうして法眼(鬼一法眼)の屋敷に留まるようになりましたが法眼には幸寿前という女がいました。次の者([身分の低い者])でしたが情けがある女で、いつも通っていました。義経も自然と知るようになって、御曹司(義経)は話のついでに、「法眼はわたしのことを何と申しているか」と申せば、女は「何も申されません」と答えました。義経が「そうであっても少しは」と訊ねると、「かつては『怪しいところがあれば知らせよ。そうでないなら放っておけ、ただ他人には話すな』と申されておられました」と申せば、「わたし義経に心を許していないようだな。本当のところ法眼の子は何人いるか」と訊ねると、「男子二人に女子三人」「男二人は家にいるか」「はや(隼か?現京都市中京区にある梛神社のあたり?)と申す所で、印地([石合戦を得意とした無頼の徒])の大将をしております」「また三人の女子はどこにいる」「それぞれ幸いにも、皆上臈婿([身分の高い婿])が渡っておいでです」と申せば、「婿は誰だ」「嫡女は平宰相信業卿(平信業。大膳大夫)の北の方、一人は鳥養中将(藤原氏?)に嫁いでおります」と申せば、義経は「どうして法眼の分際で上臈婿を取ることができたのだ。法眼は世に超えて、不躾な者である、人々に面を打たれようが、方人([味方])をして家の恥を晴らそうとも、思わない。それよりそれぞれが立派な婿を持っているならば、舅(鬼一法眼)の恥を清めようとは思わないのか。舅に申してみよ」と申すと、
(続く)