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「承久記」相模の守戦の僉議方々手分の事(その2)

「今日は宇治・勢多の合戦こそ終りにてあるべく候ふ。寄々いくさの僉議も手分け大事たるべく候ふ。駿河の前司殿の御計らひに付き奉るべく候ふ。憚らず計り給へ」と申されければ、義村よしむら申しけるは、「大将の御命により候へば方々免し給へ。北陸道の手はいまだ見えず候ふ。勢多の大手には相模の守殿かうのとの・城の介入道。供御くごの瀬には武田の五郎一家の人々ども甲斐・信濃の軍勢。宇治へは武蔵の守殿かうのとの向かはせ給ひ候へかし。芋洗へは森の蔵人入道殿向かはれ候ふべし。淀の手には義村罷り向かふべく候ふ」と定め申しけるに、相模の守の手に本間の兵衛忠家ただいへと言ふ者進み出でて、「駿河守殿の御計ひ左右さうに及ばす候へども、相模の守殿の若党、軍なせそとの御事と思え候ふ。武蔵の守殿を勢多へ向かはせ参らせられて、宇治へ相模の守殿を向け参らせらるべくや候らん」とぞ支へける。「いしくも申すものかな」とぞ聞こえける。




北条時房ときふさが「今日で宇治(現京都府宇治市)・勢多(瀬田。現滋賀県大津市)の合戦を終わりにしようぞ。攻め戦では手分けを決めておくことが大事だ。駿河前司殿(三浦義村)の考えを聞かせていただきたい。遠慮されず申されよ」と申したので、義村が申すには、「大将の命であるから方々免されよ。北陸道の手はいまだ来ていないようですな。勢多の大手には相模守殿(北条時房)・城の介入道。供御瀬(現滋賀県大津市)には武田の五郎一家の人々ども甲斐・信濃の軍勢。宇治へは武蔵守殿(北条泰時やすとき)を向かわせましょう。芋洗(一口いもあらい。現京都府久世郡久御山町)へは森蔵人入道殿(源頼隆よりたか=毛利頼隆。西阿にしあ)を向かわせましょう。淀(現京都市伏見区)の手にはわたし義村が向かいましょう」と申すと、相模守(北条時房)の家来で本間兵衛忠家(本間忠家)と言う者が進み出て、「駿河守殿(三浦義村)のお考えに逆らうつもりはございませんが、相模守殿(北条時房)の若党([若い侍])には、戦をさせないおつもりでしょうか。武蔵守殿(北条泰時)を勢多へ向かわせ参らせて、宇治へは相模守殿(北条時房)を向かわせるのがよろしいのでは」と異議を唱えました。「よくぞ申した」と声が上がりました。


続く


by santalab | 2014-02-09 08:05 | 承久記

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