さるほどに、式部の丞朝時は五月晦日、越後の国府に着きて打ち立ちけり。北国の輩悉く相従ひ、五万余騎に及べり。京方に仁科の次郎・宮崎の左衛門・糟屋左衛門先駆けて下りけれども、怖めずに、加賀の国、林が許に休み居て、国々の兵どもを召すに、井出の左衛門・石見の前司・保原の左衛門・石黒の三郎・近藤の四郎・同じく五郎、これらを召しけり。
やがて、式部丞朝時(北条朝時)が五月末日に、越後の国府(現新潟県上越市)に着いて出兵しました。北国の者たちは一人残らず朝時に従い、五万騎余りとなりました。京方は仁科次郎(仁科盛遠)・宮崎左衛門(宮崎定範)・糟屋左衛門(糟屋久季)が先陣として下っていましたが、恐れることもなく、加賀国の、林氏の許で休み、国々の兵たちを集めて、井出左衛門・石見前司(石見能行?)・保原左衛門・石黒三郎・近藤四郎・同じく五郎、これらの者たちを呼び集めました。
(続く)