「横道なれども、いざや当国に聞こえたる平泉寺を拝まん」と仰せける。各々心得ず思ひけれども、仰せなればさらばとて、平泉寺へぞかかられける。その日は雨降り、風吹きて世間もいとど物憂く、夢に道行く心地して、平泉寺の観音堂にぞ着き給ふ。大衆どもこれを聞きて、長吏の許へぞ告げたりける。政所の勢を催して、寺中と一つになりて、僉議しけるは、「当時関東は山伏禁制にて候ふに、この山伏は只人とも見えず、判官は大津坂本愛発の山をも通られて候ふなる。寄せて見ばや、如何様にもこれを判官にておはすると思え候ふ」と僉議す。もつともとて大衆出で発つ。
義経は「回り道になるが、なんとしても当国(越前国)に名に聞こえる平泉寺(現福井県勝山市平泉寺町にある平泉寺白山神社)を拝まみたい」と申しました。皆の者は納得できませんでしたが、命ならば仕方ないと、平泉寺に向かいました。その日は雨が降り、風も吹いてとてもつらくて、夢の中で道行くような心地で、平泉寺の観音堂に着きました。大衆([僧])たちはこれを聞いて、長吏([寺務を統轄する僧])の許へ告げました。政所([大社寺で、事務・雑務を取り扱った所])の勢を集めて、寺中([大寺の境内にある小寺])と一つになって、僉議して、「今関東は山伏禁制である、この山伏は只人とも思えず、また判官(源義経)は大津坂本(現滋賀県大津市)愛発山(福井県敦賀市南部の山)を通られたと聞くぞ。寄せてみようではないか、きっと判官だと思うぞ」と僉議しました。同意して大衆たちは出で発ちました。
(続く)