かくするほどに日も暮れければ、泣く泣く辿り給ひけり。ややありて北の方、「三途の川を渡るこそ、着たる物を剥がるるなれ。少しも違はぬ風情かな」とて、岩瀬の森に着き給ふ。その日はここに泊り給ひけり。明くれば黒部の宿に少し休ませ給ひ、黒部四十八箇瀬の渡りを越え、市振、浄土、歌の脇、寒原、中橋と言ふ所を通りて、岩戸の崎と言ふ所に着きて、海人の苫屋に宿を借りて、夜とともに御物語ありけるに、浦の者ども、搗布と言ふものを潛きけるを見給ひて、北の方かくぞ続け給ひける。
四方の海 浪の寄る寄る 来つれども いまぞ初めて 憂き目をば見る
弁慶これを聞きて、
忌々しくぞ思ひければ、かくぞ続け
申しける。
浦の道 浪の寄る寄る 来つれども 今ぞ初めて 良き目をば見る
やがて日も暮れて、泣く泣く旅路を辿りました。しばらくして北の方(郷御前)が、「三途の川を渡る時には、着ている物を剥がれると申します。少しも違わなく思ったのです」と申して、岩瀬の森(現富山県富山市岩瀬にある岩瀬諏訪神社)に着きました。その日はそこに泊りました。夜が明ければ黒部宿(現富山県黒部市)で少し休んで、黒部四十八箇瀬(黒部川)の渡りを越え、市振(現新潟県糸魚川市)、浄土(浄土門。現新潟県糸魚川市)、歌の脇(歌外波?現新潟県糸魚川市)、寒原(蒲原。現新潟県五泉市)、中橋(末広中橋。現新潟県長岡市)という所を通って、岩戸崎(現新潟県上越市?)と言いう所に着いて、海人の苫屋([苫=菅や茅などを粗く編んだむしろ。で屋根を葺いた家])に宿を借りて、夜とともに語り合っていましたが、浦の者たちが、搗布([チガイソ科の褐藻])というものを潜って取っているのを見て、北の方(郷御前)がこう続けました。
四方の海から浪(=敵)がひっきりなしに押し寄せましたが、今はじめて終に三途の川を渡ることになるかと悲しくなりました。
弁慶はこれを聞いて、忌々しく([不吉である。縁起が悪い])と思い、こう続けました。
浦の道には、波がひっきりなしに押し寄せますが、今日はじめて搗布(=勝ち目)を取るのを見て、安心しました。
(続く)