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「義経記」静吉野山に棄てらるる事(その4)

道者皆下向げかうして後、しづか正面しやうめんに参りて念誦して居たりけるところに、若大衆の申しけるは、「あら美しの女の姿や、只人ただひととも思えず、如何なる人にておはすらん。あのやうなる人の中にこそ面白き事もあれ。いざや勧めて見ん」とて、正面に近付きしに、素絹そけんの衣を着たりける老僧らうそうの、半装束はんしやうぞく数珠じゆず持ちて立ちしが、「あはれ権現の御前にて、何事にてもさうらへ、御法楽ほふらく候へかし」とありしかば、静これを聞きて、「何事をまうすべきとも思えず候ふ。近きほどの者にて候ふ。毎月に参篭さんろう申すなり。させる芸能ある身にても候はばこそ」と申しければ、「あはれこの権現は霊験無双ぶさうに渡らせ給ふものを。かつうは罪障ざいしやう懺悔の為にてこそ候へ。この垂跡すいしやくは芸ある人の、御前にて丹誠たんぜい運ばぬは、思ひに思ひを重ね給ふ。面白からぬ事なりとも、我が身に知る事の程を丹誠を運びぬれば、悦びにまた悦びを重ね給ふ権現にて渡らせ給ふ。これわたくしに申すにはあらず、ひとへに権現の託宣たくせんにて渡らせ給ふ」と申されければ、静これを聞きて、恐ろしや、我はこの世の中に名を得たる者ぞかし。神は正直しやうぢきかうべに宿り給ふなれば、斯くて空しからん事も恐れあり。舞ひまでこそなくとも、法楽ほふらくの事は苦しかるまじ。我を見知りたる人はよもあらじと思ひければ、物はおほく習ひ知りたりけれども、べつして白拍子しらびやうし上手じやうずにてありければ、音曲おんぎよく文字映り心も言葉も及ばず、聞く人涙を流し、袖を絞らぬはなかりけり。




道者([連れ立って社寺を参詣・巡拝する旅人])たちが皆帰った後、静御前が本殿正面に参って経を唱えていると、若大衆([若い僧])が言うには、「なんと美しい女の姿がございます、只人とも思えません、何というお方ですか。道者の中にこのような人がおられるとは。勧進([人々に仏の道を説いて勧め、善導すること])を差し上げましょう」と言って、静御前の正面近くに参りました、素絹の衣([素絹で作った白い僧服])を着た老僧が、半装束の数珠([水晶のたまに琥珀の珠を少しまぜて作った数珠])を持って立っていましたが、「さあ蔵王権現の御前で、何でもよろしい、法楽([経を読誦したり、楽を奏し舞をまったりして神仏を楽しませること])されませ」と申したので、静御前はこれを聞いて、「不調法の者でございます。わたしはこの近くに住む者です。毎月参篭([祈願のため、神社や寺院などに、ある期間籠もること])させていただきましょう。せめて芸能の一つも身に付けていれば」と答えると、老僧は「もったいないことですこの権現は霊験無双でありますのに。あなたの罪障([往生・成仏の妨げとなる悪い行為])を懺悔するためでもあります。この垂跡([仏・菩薩が人々を救うため、仮に日本の神の姿をとって現れること]。蔵王権現=金剛蔵王菩薩。ここで言う垂迹とは、金剛蔵王権現三体=釈迦如来・左が弥勒菩薩・右は千手観音菩薩)は芸ある人が、御前で丹誠([誠意])を示さねば、願い叶わぬと申します。たとえ堪能ではなくとも、身に付けた芸で丹誠([誠意])を示せば、よろこびが重なる権現ですぞ。これはわたしが申すのではありません、権現の託宣([お告げ])でございます」と申したので、静御前はこれを聞いて、なんと畏れ多いことでしょう、わたしはこの世に名の知れた者です。神は正直な頭(人)に宿ると申します、嘘を言っては願いが叶わないと思いました。舞まではせずとも、法楽することに差し障りはないでしょう。わたしを見知る者もまさかいないと思って、芸は数多く習い知っていましたが、とりわけ白拍子([平安末期から鎌倉時代にかけて流行した歌舞])の上手でしたので、音曲言葉は聞く者の身に染みて心も言葉も失って、ただ聞く者は涙を流し、袖を絞らぬ者はいませんでした。


続く


by santalab | 2014-02-25 08:24 | 義経記

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