さて鈴木申し上げけるは、「下人に腹巻ばかりこそ着せて参じて候へ。討ち死の上具足の善し悪しは要るまじく候へども、後に聞こえ候はん事無下に候はんか」と申しければ、鎧は数多させたるとて、敷目に巻きたる赤糸威の究竟の鎧を取り出だし、御馬に添へ下さる。腹巻は舎弟亀井に取らせけり。
鈴木(重家)が申し上げるには、「下人([身分の低い者])には腹巻([簡易の鎧])ばかりを着せて参りました。討ち死に上具足([腹巻などの上に着ける具足=甲冑])のあるなしは関係ございませんが、後に世に聞こえた時恥かしくないようにしたいのです」と申すと、義経は鎧を数多く用意させて、敷目([敷目威]=[重ねが厚く、堅固な鎧])に巻いた赤糸威([茜=アカネ科の蔓性の多年草。または蘇芳=マメ科の落葉小低木。で染めた糸を用いた威])の究竟([究極])の鎧を取り出し、馬に添えて与えました。腹巻は弟(乳母兄弟だったらしい)の亀井(亀井重清)に与えました。
(続く)