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「義経記」衣河合戦の事(その2)

弁慶べんけいその日の装束しやうぞくには黒革威くろかはをどしよろひ裾金物すそかなものひらく打ちたるに、黄なるてうを二つ三つ打ちたりけるを着て、大薙刀おほなぎなたの真ん中握り、打板うちいたうへに立ちけり。「はやせや殿ばらたち、あづまの方の奴ばらに物見せん。若かりし時は叡山にて由ある方には、詩歌しいか管絃くわんげんの方にも許され、武勇の道には悪僧の名を取りき。一手舞うて東の方の賎しき奴ばらに見せん」とて、鈴木兄弟きやうだいに囃させて、

嬉しや滝のみづ、鳴るは滝の水、日は照るとも絶えずとうたり、東の奴ばらがよろひかぶとを首諸共もろとも衣川ころもがはに斬り付け流しつるかな

とぞ舞ふたりける。寄せ手これを聞きて、「判官はうぐわん殿の御内の人々ほどかうなる事はなし。寄せ手三万騎さんまんぎに、城の内はわづか十騎ばかりにて、何ほどの立合たてあひせんとて舞ひ舞ふらん」とぞまうしける。寄せ手の申しけるは、「如何に思し召しさうらふとも、三万余騎ぞかし。舞ひも置き給へ」と申せば、「三万も三万によるべし。十騎も十騎によるぞ。おのれらがいくさせんと企つるやう可笑をかしければ笑ふぞ。叡山、春日山の麓にて、五月会さつきゑに競べ馬をするに、少しもたがはず。可笑しや鈴木、東の方の奴ばらに手並みの程を見せてくれうぞ」とて、打ち物抜きて鈴木兄弟きやうだい、弁慶くつばみを並べて、しころを傾ぶけて、太刀を兜の真つかうに当てて、どつとおめきて駆けたれば、秋風に木の葉を散らすに異ならず。




弁慶のその日の装束は黒革威([藍で濃く染めた黒革で威したもの])の鎧に裾金物([兜のしころや鎧の袖・草摺くさずり菱縫ひしぬひの板=兜の錏、鎧の袖・草摺などの最も下の板。に飾りとして打った金物])を平たく打ち、黄色の蝶を二つ三つ付けた鎧を着て、大薙刀の真ん中を握り、打板([廊下と廊下の間に橋のように渡す歩み板])の上に立っていました。「音頭を取り給え殿たちよ、東国の奴らに見物させてやろう。若かりし頃は比叡山で風情のものでは、詩歌管絃も許されて、武勇の道では悪僧の名を取ったわたしだ。一番舞って東国の下衆どもたちに見せてやるのだ」と言って、鈴木兄弟(鈴木重家しげいへと亀井重清しげきよ)に音頭を取らせて、

うれしや滝の水、音を立てて流れる滝の水よ、日は照ろうが絶えず流れて、東の奴らの鎧冑を首とともに衣川([北上川の支流。岩手県奥州市を流れ、平泉町で北上川に注ぐ川])に斬りつけて流すことだろう(「うれしや滝の水」は「延年舞」=「寺院において大法会の後に僧侶や稚児によって演じられた日本の芸能」の歌詞)

と謡いながら舞を舞いました。寄せ手はこれを聞いて、「判官殿(源義経)の身内の者ほど強い者はいないぞ。わしら寄せ手三万騎に対して、城の内はわずか十騎ばかりなのに、立合([出あって勝負を争うこと])をするために面に出て舞を舞うとは」と言い合いました。寄せ手は声を上げて、「何を思っておるのかは知らないが、こちらは三万騎であるぞ。舞は終わりじゃ」と言うと、弁慶は「三万だろうが三万の中身によるぞ。十騎であろうがその十騎によるのだ。お前たちが我らと戦をしようとすることがおかしくて思わず笑ってしまうわ。比叡山、春日山(奈良市東部の山)の麓で、五月会([小五月会]=[滋賀県大津市の日吉ひえ大社や奈良の春日大社で陰暦五月九日に行われた祭礼])に競べ馬をするのと、まったく同じようなものだ。まったくおかしいのう鈴木(鈴木重家)よ」と言って、打ち物([太刀])を抜いて鈴木兄弟(鈴木重家と亀井重清)、弁慶が馬を並べて、錏([冑から下げて首から襟の防御するもの])を傾けて冑を深くかぶり、太刀を兜の真っ先に差し出して、大声で喚きながら馬を駆けたので、敵は秋風が木の葉を散らすように逃げてしまいました。


続く


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by santalab | 2014-02-26 08:46 | 義経記

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